三浦按針を知っていますか?長崎平戸で按針忌―5月29日開催
長崎県【平戸温泉】2011年5月16日
■按針忌~三浦按針を偲ぶ(2011年5月06日更新)
1600年日本に初めてやってきたウィリアム・アダムスは、徳川家康の外交顧問、旗本として活躍しました。
当時、コンパスのことを「按針」といい、徳川家康から「三浦郡」に領地を賜った事から、日本名を「三浦按針」と名乗って貿易、測量、造船、軍の装備等の指導にあたりました。
伊東に日本で初めての造船ドックを設けて様式帆船2隻を造るなど、共に日蘭・日英の海外貿易に尽力し、良く幕府と折衝し平戸の蘭商館を設置させたのも彼の力によるところ大であったと伝えられています。
また、三浦按針は日本の食文化にも大いに貢献しています。
1615年、按針は琉球の那覇に立ち寄った際にさつまいもの種芋を購入しました。その栽培方法を学び、平戸イギリス商館長のリチャード・コックスにプレゼントしました。
コックスは畑で栽培をはじめ「庭に手を入れて、リアケ(琉球)から招来された薯をそこに植えたが、これは日本では未だ嘗て植附けられたことのないものである」と日記に書き残しています。平戸で日本内地最初のさつまいも(甘藷)畑ができたのです。
さつまいもは、平戸から日本各地へと広まっていきました。現在、コックスの甘藷畑跡は市指定文化財となっています。
三浦按針は後年、平戸の英商館長コックスのもとにあって、席の温まる暇もないといわれる程活躍していましたが、1620年病のため平戸にて逝去しました。崎方公園にある三浦按針の墓では毎年5月「按針忌」が催されています。
当時、コンパスのことを「按針」といい、徳川家康から「三浦郡」に領地を賜った事から、日本名を「三浦按針」と名乗って貿易、測量、造船、軍の装備等の指導にあたりました。
伊東に日本で初めての造船ドックを設けて様式帆船2隻を造るなど、共に日蘭・日英の海外貿易に尽力し、良く幕府と折衝し平戸の蘭商館を設置させたのも彼の力によるところ大であったと伝えられています。
また、三浦按針は日本の食文化にも大いに貢献しています。
1615年、按針は琉球の那覇に立ち寄った際にさつまいもの種芋を購入しました。その栽培方法を学び、平戸イギリス商館長のリチャード・コックスにプレゼントしました。
コックスは畑で栽培をはじめ「庭に手を入れて、リアケ(琉球)から招来された薯をそこに植えたが、これは日本では未だ嘗て植附けられたことのないものである」と日記に書き残しています。平戸で日本内地最初のさつまいも(甘藷)畑ができたのです。
さつまいもは、平戸から日本各地へと広まっていきました。現在、コックスの甘藷畑跡は市指定文化財となっています。
三浦按針は後年、平戸の英商館長コックスのもとにあって、席の温まる暇もないといわれる程活躍していましたが、1620年病のため平戸にて逝去しました。崎方公園にある三浦按針の墓では毎年5月「按針忌」が催されています。
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