2012年3月4日日曜日

終末医療のこと

http://jp.wsj.com/Life-Style/node_399574?mod=WSJSeries
(以下引用)

【コラム】終末医療―医師と一般人はなぜ選択が異なるのか
ケン・マーレイ
2012年 2月 27日 21:14 JST

何年も前、尊敬を集める整形外科医であり、私のメンターでもあるチャーリーは、胃に「塊」を見つけた。全米で最も良い外科医の1人は、それをすい臓ガンと診断した。その外科医は、患者の生活の質は低下するものの、5年生存率を3倍――5%から15%に――に引き上げられる手術を手掛けていた。

目を引くのは、医師が受ける治療の多さではなく、少なさだ しかし、68歳のチャーリーは、手術には見向きもしなかった。翌日、彼は帰宅し、診療をやめ、病院には二度と足を踏み入れなかった。家族と時間を過ごすことに集中したのである。数カ月後、彼は家で亡くなった。彼は、化学療法も放射線治療も外科手術も受けなかった。メディケア(米高齢者向け医療保険制度)は彼の治療費にほとんど使われなかった。

言いたくはないことではあるが、医者も死ぬ。ここでの彼らの特徴は、大半のアメリカ人より、いかに多くの治療を受けているかではなく、いかに「少ないか」である。医者は、病気の進行について正確に理解しており、どんな選択肢があるのかを知り、受けたいと思う治療はどんなものでもたいてい受けられる。しかし、どちらかといえば、医者の最期は静かで穏やかだ。

医者が、一般の人よりも生に執着がないというわけではない。しかし、彼らは、近代医療の限界について家族と常日頃から話している。その時が来たら、大掛かりな治療はしない、ということを確認したいのだ。たとえば彼らは、もう最期という時に、心肺蘇生救急(CPR)を施され、誰かに肋骨を折られたくはない(CPRの正しい処置で肋骨が折れることは十分にある)。

医師が終末期の決断で何を望むかについて、ジョゼフ・J・ガロ氏らは、2003年に論文にまとめた。調査対象となった医師765人のうち、64%が、自分が再起不能となった場合、救命の際に取るべき措置と取らない措置を具体的に指示していた。一般人の場合、こうした指示を行う人の割合はわずか20%だ。(ご想像の通り、高齢の医者の方が若年の医者よりもこうした「取り決め」をする傾向にある。これは、ポーラ・レスター氏らの調査に示されている。)

医者と患者の決断には、なぜこのような大きなギャップが存在するのか。これを考えるうえで、CPRのケースは参考になる。スーザン・ディーム氏らは、テレビ番組で描かれているCPRについて調査を行った。それによると、テレビではCPRの件数の75%が成功し、67%の患者が帰宅できた。しかし、現実の世界では、2010年の調査によると、9万5000件以上のCPRのうち、1カ月以上生存した患者は8%に過ぎなかった。このうち、ほぼ普通の生活を送ることのできた患者はわずか3%だった。

昔のように、医者が信ずるに従い、治療を行った時代とは異なり、今は患者の選択が基本だ。医師は、患者の意志をできるかぎり尊重しようとする。が、患者に「あなたならどうしますか」と聞かれると、医師は答えるのを避けてしまうことがよくある。我々は、弱者に意見を強要したくない。

その結果、むなしい「救命」治療を受ける人が増え、60年前よりも自宅で亡くなる人が減った。看護学のカレン・ケール教授は、「Moving Toward Peace: An Analysis of the Concept of a Good Death(安らぎへの動き:良い死という概念の分析)」という論文のなかで、美しい死というものの条件をいくつか挙げ、なかでも「やすらか」で「抑制されたもの」であり、「終わりを迎えたと感じ」、「回りの人々や家族がケアに関わっている」ことが重要だと指摘した。現代の病院は、こうした点をほとんど満たしていない。

患者は、終末医療について書き記すことにより、「どう死ぬか」について、はるかに多くをコントロールすることが可能だ。大半の人々は、税金から逃れることはできないことはわかっているが、死は税金よりももっと辛い。アメリカ人の圧倒的多数が死の適切な「取り決め」をできないでいる。

だが、そうともかぎらない。数年前、60歳の私の年上の従兄であるトーチ(彼は、懐中電灯の光をたよりに家で生まれた)が発作に襲われた。結局、それは肺がんによるもので、もう脳に転移していることが判明した。週3~5回、化学療法のための通院など、積極的な治療を行って、余命は4カ月ということだった。

トーチは医者ではない。しかし、彼は、単に生きる長さではなく、生活の質を求めていた。最終的に、彼は治療を拒否し、脳の腫れを抑える薬だけを服用することにした。そして彼は私のところに引っ越してきた。

その後8カ月間、それまでの数十年ではなかったと思うくらい、楽しい時間を一緒に過ごした。彼にとっては初めてのディズニーランドに行った。家でゆったりと過ごした。トーチはスポーツ好きだったので、スポーツ番組を観て私の手料理を食べるのが大好きだった。彼は、激しい痛みもなく、はつらつとしていた。

ある日、彼は目を覚まさなかった。3日間、こん睡状態が続き、そして亡くなった。その8カ月間の彼の医療費は、服用していた1種類の薬だけで、20ドル程度だった。

私自身について言えば、主治医が私の選択肢を記録している。そうすることは簡単なことだった。多くの医師にとってもそうだろう。大掛かりな治療はなし。やすらかに永眠する。私のメンター、チャーリーや従兄のトーチのように。また、数多くの私の医者仲間のように。

(筆者のケン・マーレイ医師は、南カリフォルニア大学の家庭医学の元臨床准教授。この記事は、ウェブサイトのソカロ・パブリック・スクエアに発表されたものを編集した)

------引用ここまで

税と社会保障の一体改革、終末医療について考えることも必要です。

0 件のコメント:

コメントを投稿