2011年1月31日月曜日

公民館の利用許可申請のその後について

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臼杵中央公民館と野津中央公民館を利用する場合には、「申込みは使用する月の1ヶ月前(ホールのみ6ヶ月前)から使用日の前日まで」と規則で決められています。
大きなイベントを企画する場合には、もっと早い時期に期日を決める必要から、予約をお願いしたい場合があります。

規則では例外規定は無く、いかなる場合も1ヶ月(ホールは6ヶ月)前にならねば予約はできず、規則に忠実な職員は窓口でお断りしていた状況もあったようです。
そのような場合には、規則破りをお願いするか、市の職員にお願いし公的イベントとして予約をするしかありませんでした。

規則を改正し「やむをえない事情がある場合はこの限りでない。」という内容が盛り込まれれば、規則破りをお願いする必要もなくなることから、改正をお願いしていました。
規則の改正が、この1月に教育委員会に諮られ、4月から運用されることになったようです。
ありがとうございました。

http://usuki.blogspot.com/2010/06/blog-post_08.html
http://usuki.blogspot.com/2010/07/blog-post_13.html

吉四六さん村グリーンツーリズム研究会

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「ほんまもんの里農業推進センター」の会議室で研修会。
主催は大分県、農村漁村ツーリズム推進総合対策事業。
農村民泊に取り組んでいる家庭を対象に「学校団体受入れマニュアル」の講習が行われました。
講師は、(有)セッションの小野浩幸さん。
各地の農泊の取り組みを指導、「吉四六さん村」の活動にも様々な面から尽力されています。

「吉四六さん村」は、シンガポールの教育旅行や韓国の農業研修生のツアーなどの実績があり、受入れ家庭でもある事務局と農泊部長を中心に交渉から受入れまでを行ってきました。

月に一度、受入れ家庭が集まり情報交換を行うなど、常に質の向上に努めてきました。
「吉四六さん村」が評判を得てきた理由もこのあたりにあります。
そのことにより、行政に頼らない環境下で海外からのお客様が途切れることなく続いています。

そういった意味で、不文律の受入れマニュアルは整っていたわけですが、国内の教育旅行誘致に本格的に乗り出すにあたり、「学校団体 受入れマニュアル」となった訳です。

今回の研修にもご夫婦で参加される家庭が多く、小野さんもこのあたりの取り組みの姿勢が「吉四六さん村」の農泊の質の高さにつながっていると感心していました。

来年5月にははじめての「吉四六さん村」での教育旅行が決まったとのこと。
研修には市の職員も参加、これから教育旅行への取り組みが本格始動です。

2011年1月30日日曜日

循環農法と「土づくりセンター」

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あるとき、アトピー性皮膚炎の女性が赤峰さんを訪ねてきたそうです。
「アトピーを直してください」との訴え。

どうしていいかわからないまま、循環農法の畑で栽培された野菜や米など、完全無農薬・無化学肥料の食べ物だけを与え続けました。
始めのうちは肌が大変な状態になったそうですが、ひせが剥がれ落ちるとともに美しい肌になっていったそうです。

少しでも農薬や化学成分が残っている野菜や米などを口にするとアトピーが噴出しますが、「循環農法」の野菜や米ではアトピーが出ません。
口コミで訪れる方が増え、求めに応じ完全無農薬・無化学肥料の野菜を作り続け今に至っています。
問答塾を始めたのも、一人ひとりの問い合わせに答えていたのでは本業の百姓をする時間が無くなるとのことから。

臼杵市に先ごろ完成した「土づくりセンター」で作られる堆肥も「循環農法」の堆肥と同じ。
赤峯さんに倣い、畑に雑草を生やすという方法をとれば、完全無農薬・無化学肥料の栽培が可能。

ただし、土が理想的な成分になり、「循環農法」が可能になるまでには3年以上かかるということ。
「循環農法」を理解し、3年の我慢ができるかどうか。

「土づくりセンター」の堆肥を100%生かすためには、そのあたりに支援が必要なようです。

2011年1月29日土曜日

循環農法のこと

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赤峰さんは、完全無農薬・無化学肥料で野菜や米を作っています。
無論、農業を始めた頃は教えられたとおり、農薬も化学肥料も使用していました。
持ち前の旺盛な探究心をして「循環農法」にたどり着きました。

草木8割豚糞2割の割合で完熟堆肥をつくり使用しています。
この完熟堆肥は、先ごろ完成した「土づくりセンター」で作られるものと同じです。

特徴的なことは、作物を収穫した後、畑に生える草を種子ができるまで放置します。
そして粉砕して畑に鋤きこみます。

畑に作物が育つためのミネラルが不足すると、そのミネラルを供給する草が生えます。
その草を畑に鋤き込むことで、畑のミネラルバランスが最適になるのです。

畑でできる作物は、畑のミネラルを吸収、光合成により生育します。
作物が畑から奪ったミネラルを完熟堆肥と草を生やし鋤き込むことにより補給するのです。

理想的なミネラル成分を持つ土が育てる健康な野菜には虫がほとんど来ません。
虫は未熟な堆肥を使用した結果できる、人体に有害な苦い野菜を食べてくれるのです。

「虫が食べているので安全な野菜」というのは間違いです。

2011年1月28日金曜日

宗像市議会視察

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宗像市を訪問しました。
まず驚かされたのは、職員と議員の少なさ。
人口約95000人、職員数は451人。市議会議員は20名。
http://www.city.munakata.lg.jp/shinai/goannai/tokei-keikaku/pdf/16-01.pdf

臼杵市は、人口約44000人、職員数は392人。市議会議員は23名。
http://www.city.usuki.oita.jp/up/log/697.pdf

「合併前の宗像市より増やさない」という考えで民間委託などを推進、削減に取り組んできたとのこと。
大島という離島を抱えているなかでこの職員数、先をいっています。

市議会は、「市民アンケート」などを経て、平成22年7月に「議会基本条例」を制定。
これまで、市内10箇所で議会報告会を実施してきました。

広報公聴の取り組みとしては、平成14年から本会議をインターネットで放映開始。
平成22年6月議会から、本会議に加え、各委員会をインターネットで配信しています。

昨年のアクセス数は、ライブ中継が1300件、総アクセス数は29000件に上っています。
CATV網は整備されていませんが、インターネットでいつでも見れるということ。

臼杵市でも、CATVに加えインターネット配信を実施すれば、関心度が高まると思われます。

2011年1月27日木曜日

議会改革の鍵

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情報発信や政治倫理条例や議会基本条例の制定など、改革の方向は明らかです。
いずれも議員の賛同が得られなければ実現しません。

検討の場となるのが「会派代表者会議」です。
ここでの数の論理が働きます。

私は、無会派。いくら改革を唱えても、一票の力も持ちません。
ことあるごとに改革の必要性を訴え、会派(各所属議員)の考えが変わるのを期待するしかありません。
すなわち、支持者(市民)が改革を求め、議員の考えを変えることが必要です。

会派として改革に賛同できないまでも、改革を必要と考えている議員はいます。
水面下で、そして「全員協議会」の場などで個々の考えを調整していくことが重要です。
時間はかかりますが。

2011年1月26日水曜日

周南市議会視察

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議会運営委員会の視察研修で周南市を訪れました。
視察目的は、「議会改革」です。
周南市は、合併で78名の議員定数となり、議員報酬もバラバラでした。
議員報酬の統一化(提案では報酬の高い方に統一、結果は10%減で決着)をきっかけに市民からの議会解散請求が行われ、議会解散、34名の議員選挙に至りました。

そのような経過もあって、議会に対する関心が高く、「公開」「対話」をキーワードに臼杵市では行われていない、開かれた議会運営の手法がとられています。

1 情報発信の取り組み
本会議、全員協議会のCATVでのライブ中継(翌日再放送、一週間後再々放送)
各委員会のCATV放映(それぞれの委員会を40分程度に編集、2時間番組として)
委員会の記録を全文筆記で作成し、ホームページで公開
議会だよりの発行(年4回)

加えてCATV放送のみならず、インターネットでの配信にも取り組みたいとのこと。
ちなみに臼杵市は本議会のみ、CATVで後日2回の放映を行っています。

2 議長選挙の立候補制
全員協議会で所信表明を行い、CATVでライブ中継されます

3 政治倫理条例の制定
市長・議長・副議長の資産公開、議員の所得公開、議員・市長とその家族との請負契約の辞退などを定めています。

4 議員研修会を公開により開催
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臼杵市においてもこの視察を生かし、開かれた議会に一歩でも近づきたいものです。

なずな問答塾

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久しぶりに問答塾に参加しました。
http://www.nazunanokai.com/plan.html

年の初めということもあるのでしょう、県内外からたくさんの人が参加していました。
問答塾は、循環農法や作物の育て方、食養のことなど、赤峰さんに聞いて答えていただく場です。

あらかじめ聞きたい事を紙に書いて司会者に提出します。
今日の質問は12。

時間は14時から17時まで、3時間みっちりありますので、質問数にもよりますが
始めは赤峰さんのお話が一時間程度聞くことができます。

農薬や化学肥料の害、さまざまな病気の原因や癌のこと、食事のことなど
「百姓」として、真剣に農業に向き合い、体得した理論を学ぶことができるからです。

一般には受け入れられていない理論も多いですが、私は「本物」を感じています。
快刀乱麻、質問に答える赤峰さんからいつも元気を頂いています。

2011年1月25日火曜日

公開された行財政活性化推進委員会

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第2回の委員会が公開で行われました。
今回は、総合計画の策定についての意見聴取といった内容。
市の政策の方向や目標を示す計画で、施策全般を広く浅く示す内容のもので、
市役所の簡単な説明と短い審議時間の中ではつっこみどころが難しかったという印象です。

次回は、市の政策についての市民アンケート結果と市の内部評価との乖離を示しながら
具体的な政策の内容に踏み込む審議となると思われます。

今回よりも具体性のある審議が期待されます。
傍聴にこられた方々が次回(2月22日)以降も参加されることを願います。

とにもかくにも、市民に開かれた市政への第1歩を踏み出しました。

2011年1月23日日曜日

市浜小学校区区長会

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市浜小学校区の区長会の新年会に参加させていただきました。
地元選出市会議員の参加は3名。西水議員、加茂議員と私です。

区長さんは15名、初対面の区長さんも多くいらっしゃいます。
昨年の選挙の際、ご挨拶に伺ったのは地元の江無田区長と選挙事務所のあった、あすとぴあ区長。
他の区は、一軒一軒回ったのですが、ことさら区長さんを訪ねてご挨拶していないため、申し訳ない気持ちもあり、大変緊張していました。
隣席の区長さんと政治情勢などで合い通じる点が多く、気持ちもほぐれ、全区長さんとしばしのお話ができました。

市浜小学校区内は、これまで3回「議員だより」を配って回っています。
区長さん宅にも投函するのみでしたが、今後は顔を出してご意見ご要望を承りたいと思います。

今年の抱負を述べさせていただきましたが、質問もあり大変有意義な時間となりました。
今後の市浜小学校区区長会の開催の折には、ぜひ参加させていただきたいとお願いしました。

2011年1月20日木曜日

防府市の議員定数削減のこと

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山口県防府市(人口118800人)もすごいことになっています。

「議員定数半減」を公約に掲げ、昨年5月に4選された市長、定数を27から13に減らす条例改正案を提出するも、9月議会で否決。

その後、住民団体が、地方自治法上の上限定数34の半減に当たる17への大幅削減を求め、3万5578人分の署名を集めて条例改正を直接請求。

条例案を審議した臨時議会「慎重な審議が必要」などとして継続審査に。

これに対し市長は「条例案の是非を問う住民投票を発議したい」との考え。
議長は、「議会が議案を慎重審議している最中の発議は暴挙だ」と批判。

こちらも目が離せません。

ちなみに、臼杵市は上限定数26に対し、現在定数23、次回定数??
議員定数調査特別委員会において議員アンケート集計中です。




再び年賀状のこと

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「議員だより」をお届けした友人からの話。
「若林さんから年賀状がこないけど、あなたは来た?」と聞かれたとのこと。

「政治家は年賀状出せないので、代わりにこれを配って回っています」

「年賀状のこと、知らなかった」「そのことをちゃんと伝えないと。。」

年明けから「議員だより」を配って回るのが精一杯で、
年賀状をいただいた方々にきちんと返礼ができていません。

心に引っかかっていたところをつかれました。
できるだけ丁寧に、礼を失することの無い様、努めなければ。。

2011年1月19日水曜日

臼杵市行財政活性化推進委員会

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臼杵市では、平成12年度より「サービス検証システム」を構築、行政評価に取り組んできました。

■サービス検証システムの仕組み

行政評価は、市役所内部で次のような段階を経て行われます。

・全課長による一次評価 ・・・指標の設定・評価方法・評価結果の反映方法

・所管部長による「担当部長評価」 ・・・施策内重点化事務事業選択

・施策評価(全部長)検討会 ・・・臼杵市における政策を視野にいれた施策評価

これとは別に、全市民を対象に「臼杵市よりよいまちづくりアンケート」が実施されます。
市役所内部の評価結果や市民アンケート結果に基づき外部評価が行われます。
この外部評価を行う委員会が「臼杵市行財政活性化推進委員会」です。

これまで委員会は委員7名で構成され、非公開で行われてきました。

■平成 21 年度臼杵市行財政活性化推進委員会の議事録

今年度より、委員の一般公募も行われ、委員会も公開されることになりました。
委員会では、市側から臼杵市の施策についての説明があり、それに基づき評価が行われます。

初めての公開となる委員会は、平成23年1月24日(月)14:00から
市役所2階「議員サロン」で開催されます。傍聴は自由です。

ぜひご参加下さい。

2011年1月18日火曜日

阿久根市長選挙2

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終わった選挙のことをとやかく言っても仕方がないけれど。
西平氏の「公約」、竹原氏の「実績」、臼杵市にも通じるものがあります。
今後の阿久根市の「改革」も目が離せません。
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選挙:阿久根市長選 西平氏は「公約」、竹原氏は「実績」 2氏が訴え /毎日新聞:鹿児島

市長リコール成立に伴う阿久根市の出直し市長選は16日の投開票日に向け、リコール団体元監事の新人、西平良将氏(37)と、返り咲きを目指す前職の竹原信一氏(51)による市を二分した選挙戦が繰り広げられている。両氏の公約は対照的で、西平氏は行政改革など三つの柱を軸に具体的に記述。一方、竹原氏は「(2度の市長選で公約は)出している」と説明し専決処分などで実行した「実績」のみを強調する。西平氏の主な公約と、竹原氏が主張する主な「実績」を紹介する。【福岡静哉、馬場茂】(届け出順)

◇西平氏の「公約」

【行政改革は必ずやりとげます】
●市職員の給与を4年で15%削減し、約2億7000万円節約
●職員による地元商品券購入で地域経済活性化
●職員の仕事を評価する外部評価機関の設置
●地元の若い人材を積極的に採用
●市議会の議員定数を10~14人に削減
●日曜や夜間の議会開催を検討

【高齢者・こども・障がい者にやさしいまちづくりを進めます】
●障がいの中身に応じた特別支援学級を備えた小学校づくり
●訪問給食の値下げ
●中学生以下の医療費無料化
●高齢者のほか乳幼児にも紙おむつを支給
●出産手当金給付

【「食のまちづくり」で阿久根を元気にします!】
●「水産農林課」新設による1次産業振興
●「食のまち」のブランドイメージアップ
●「多目的文化会館」の建設

◇竹原氏の「実績」

【竹原市政が実施したこと】

●窓口手数料値下げ
●保育料値下げ
●ゴミ袋値下げ
●放課後学習教室の実施
●辺地の乗り合いタクシー実施
●浄化槽・くみ取り管理費値下げ
●市長・議員・職員のボーナスを半減し、議員の報酬を日当制に。総額約2億2000万円の財源を捻出
●固定資産税の約14%減(今年4月から)
●法人・市民税値下げ
●市民に対する市役所職員の対応が良くなりました
●70カ所以上の農道・水路の整備
●学習教室は制限がなくどの子供も利用できます。教材費と保険料で年間6000円、おやつ代として月800円の負担のみ。現在、西目小と脇本小で先行実施し、将来は市の全小学校で実施する計画
●市の基金は計画的に積み立て、竹原市政で約8億円増加

2011年1月17日月曜日

マイブログリスト

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マイブログリスト、次の2つを載せていました。

「住民至上主義」
http://www5.diary.ne.jp/user/521727/
「アジアの真実」
http://ameblo.jp/lancer1/

奇しくも1月16日を持って、竹原信一氏は落選。
「アジアの真実」も更新を停止するとのこと。

いったん白紙に戻し、徐々に丁寧に追加していきます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

日本人の精神を、今こそ取り戻すとき。 後編

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日本人の精神を、今こそ取り戻すとき。 後編

『ジャパニスト』第6号(2010年7月発行)掲載記事
対談:金 美齢 × 中田 宏



戦後50年のあゆみ

中田 金さんは、どのようなことでも実際に身をもって体験するということが非常に大切だとおっしゃっていますね。
 そうです。現場主義です。
中田 知識をたくわえるだけではなく、どんなことでも実際に動いて経験してみる。この「経験」ということに対しても臆病な人が多いように感じられるのですが、いかがでしょう。
 失敗するのを恐れ過ぎていますね。だから何もできなくなっていく。私はもともと外国人で、当時は今ほど外国人に門戸が開放されていませんでした。しかも私の場合はパスポートも無効になって母国の保護がなくなりましたから、生き延びるにはどうすればいいかという切迫した状況でした。ですから成功するか失敗するかなどといちいち考えていられませんでした。
中田 常にチャレンジし続けるしかなかったわけですね。
 そうです。日本という国は、よく「遅々として進まない」などと言われますが、実は「遅々として進む」社会なんです。少しずつかもしれませんが、よい方向に動いていく。私自身も結果として今日まで何とかなってきたわけですからね。まずは自分が動くということ。挑戦してみなければわからないことだらけなんです。
中田 「遅々として進む」というのはおもしろい表現ですね。しかし、その変化は「先を見越して手を打つ」というものではなくて、「後手にまわっている」と見えてしまい、私はもどかしさも感じています。
 一理ありますね。今の日本人の採点法が減点主義だからということも原因だと思いますよ。世間がそういうものの見方ばかりをしているから、「何もやらなければ減点もされない」という臆病な行動パターンになってしまう。これは平和で豊かで、そして過保護な社会に甘んじて生きている人に特有の傾向だと思います。
中田 それは「日本が島国だからだ」などという意見もありますが。
 島国かどうかは無関係だと思います。むしろ島国であったからこそ、それなりに統一された社会や文化が形成され、侵略することもされることも少なかったという素晴らしい歴史も持ち得たわけです。その土壌に育ったのが「日本精神」なのですから、島国の良さもあったのでしょう。交通も情報もボーダレスになってきている現代では、そんな日本の風土に育ったよいものを評価し、長所を武器にして世界に飛び出してほしいですね。
中田 では国際社会の中で、これから日本はどのような役割を果たせるのでしょう。またそのために日本人はどうあるべきだとお考えですか。
 まず日本人は覚悟を決めるべきです。国際政治の場でリーダーシップをとっていくんだという覚悟です。日本は積極的にリーダーシップをとるべきですよ。
中田 私もそう思いますが、金さんがそう思われる理由をお聞かせください。
 まずはじめに、世界の国々の中で日本ほど高水準の教育を施され、またその機会にも恵まれている国はそうありません。教育水準の高さが一つ。さらに戦後は一貫して戦争をしたことがありません。そして衰えたとはいえまだまだ経済力もあるし、お話ししたとおりの「日本精神」の持ち主である。総合的にみても日本は世界をリードできる国だと思うのです。ですからその自負と、「日本が世界をリードする」という使命感を持つべきでしょう。
中田 国際政治をリードする国というのは、相応の素質を持ち合わせていなければならない。 
 その通りですね。
中田 日本にはそのポテンシャルが十分あるのに気概に欠けている。これは客観的な視点や他との比較という発想に乏しいからなのでしょうか。
 やはり自分たちの未来をポジティブに考えていないからでしょう。自分自身の未来をポジティブに考えていないのに、世界で価値ある役割を果たそうなんて発想は芽生えません。もちろんすべてにおいて世界一位になるなんて不可能だと思いますが、得意な分野くらい、世界で一位を目指していかなければなりません。日本人は可能性をたくさん秘めているのに、大変もったいないと思いますね。日本は光と陰を比べても光の方が多い国なのですから、その自信と誇りを失ってはいけないのです。
中田 自信と誇りを取り戻すこと。そして覚悟ですね。
 リーダーになるというのはとても大変なことなのです。自分が世界を引っ張って行くのだという使命感や責任感がおのずと必要になってきます。そして、これは個人にも言えることですよ。国や社会、地域に対して自分は責任や使命を負っているのだという意気込みです。この「公のために尽くす」という心が、今の日本人には決定的に欠けていると思います。
中田 かつて、そういった心は日本人にもあったと思います。お金を持っている人は自らのお金を使い、町を整備したり橋を架けたり土地を供出するなどしていました。ですから当時の商人や町人の名前がついている町が今でも日本中にたくさん残っています。お金持ちにはお金持ちの責任と振る舞いがあったように思うのですが、最近なくなってしまったと感じます。
 エリートの育成をやめてしまったということもあるでしょうね。本物のエリートはそういった精神も理解して携えていなければなりませんし、これからの日本は教育を根底から見直し、人の上に立つ人間を育てていかなければならないと思います。「日本精神」というのは農耕民族であったからこそ熟成したものだと思いますが、世界の中で活躍し、成果を挙げる人間というのは狩猟民族的なスタンスも持ち合わせていなければならないでしょう。
中田 そういう人間を育てていくことは喫緊の課題です。
 もちろんです。さらに先ほどのお金持ちのお話でいえば、日本が経済大国になれたというのは、実はとても素晴らしいことなのです。この国が「経済力」という強いカードを持てたということの意味は大きい。それによって日本の価値や発言力は大きくなりました。このカードの価値を正確に把握し、使うタイミングを見極めることが必要です。そして、これもまた個人にも当てはまることです。お金があるというのは悪いことではありません。問題はそれをどう使うかなのです。そもそも今の政治には「お金持ち」を罪悪とする概念があると思います。
中田 お金持ちというだけで敵視しています。
 それでは、だれも努力をしなくなります。私は「お金の使い方」に個人の品格が表れると思っています。お金持ちにどうやって上手にお金を使ってもらうかを考えるのも、政治家の大切な役割だと思います。お金持ちを敵視することは、日本人の器をどんどん小さくすることにつながってしまうと思います。

「決断」と「自立」

中田 金さんは昨年、日本に帰化されました。生まれたときは日本人、その後台湾人になり、さらに無国籍となった。そして自らの意思で日本人となられたわけですが、帰化された理由は何ですか。
 「なぜいま日本国籍をとったのか」という問いに対しては、「なぜ今までとらなかったのか」というところをお話するべきでしょう。私はずっと、台湾は独立すべきだという主張をしてきました。そう言っている自分が日本国籍を取得して日本人になってしまったら、もはや説得力がないでしょう。この一点に尽きます。私自身はずっと日本に住んでいるわけですし、日本人になることに何ら抵抗はありません。しかし、それをしてしまったら私の主張との整合性がとれなくなってしまう。
中田 外国人が他国の独立に口を挟むのはおかしなことですよね。
 おかしなことでしょう。どう考えても説得力に欠けます。まして私は普段日本で生活しているわけですから、その上「日本人」であっては余計に説得力が下がります。だから日本国籍はとらなかった。しかし二〇〇八年の総統選挙で民進党が大敗し、台湾独立の気運は萎えてしまいました。この台湾での変化をうけ、私は台湾と日本のどちらに対しても異邦人であるという立場を改めようと決意したのです。日本人として私の考えを主張したい。そして日本が世界をリードできれば、台湾も必ずよい方向に進むことができると思いました。日本人になることを決めたのはこういった理由です。
中田 日本と台湾の関係というのは東アジアにとって極めて重要なものだと思います。台湾にとって日本は重要だと思いますが、台湾が台湾としてあるということは日本にとっても大変価値のあることでしょう。金さんの日本への帰化というのは、苦肉の決断ではあるにせよ、両国の利益につながるとの思いからなのですね。
 私はふたつの祖国を持っています。そして幸いなことに、この二国は国益が矛盾しないのです。日本にとっての益は台湾にとっての益ですし、逆もしかりです。東アジアにおいてこの両国は最上のパートナーたり得ると思いますよ。
中田 私もそう考えています。日本と台湾の利害がバラバラになるとは考えにくいですね。
 そうです。しかも台湾の場合は過去の五十年の歴史をプラスに評価していて、多くの台湾人は日本が大好きです。
中田 それに比べて、日本人が台湾の歴史や内情、文化に疎いという現実もあります。これは日本が解決していくべき課題でもありますね。
 それも埋めていきたいギャップですよね。私の仕事の一つだと思っています。ここ数年台湾へのツアーを企画しているのですが、そこでも「歴史」と「美食」という二つの切り口を設定しています。「歴史」という堅いテーマだけでは疲れてしまいますから(笑)。入口はいっぱいあっていいと思うのです。入った先でいろいろな台湾を知ってもらえればそれでいい。
中田 われわれ日本人は、金さんが日本人になったような「決断」や「覚悟」を迫られるということがほとんどありません。ですから、日本人は今の社会を当然だと思い、依存心が高まってしまう。そして政治もその心理を煽るようなことばかりを繰り返し、社会への依存心はさらに強まっていると思います。
 少なくとも、私は福祉を支える側でありたい、と思っています。今は親も学校も、社会も国も個人を甘やかしてしまっています。だから「してくれる」ことを期待してしまう。人間が自立できないというのは正常な社会ではありません。そうではなく、私たちは「自立をするんだ」という決意をする。そして、「与えてくれるのを待つ」という状態から、「私が福祉を支える」という心に転換するべきだと思います。
中田 基本的にはみんな「自立」することを目指す。しかし、ハンディを抱えた人にはそれを支える仕組みをしっかりと構築する。そして、それぞれが持っている能力と日本人の長所を最大限発揮して、社会や世界に貢献していくという姿が目指すべき世の中でしょう。
 そうやって生きている個人というのは、その存在自体がすでに最高の教育にもなりますよ。
中田 これからの金さんの使命とは何でしょうか。
 私は早稲田で学び、その後二十年間、非常勤講師として早稲田へのお礼奉公をしてきました。これからの私の使命は、日本へのお礼奉公ですね。日本人として、自信を持って発言していきたい。それから私は今、七十六ですが、これからも上手に齢を重ねて「中高年のアイドル」を目指したいですね(笑)。
中田 まさに「美齢」というお名前のとおりですね(笑)。それはすでに叶っているように思います。では最後に、日本をどういう国にしたいですか。
 日本は、ただでさえ素敵な、よい国です。せっかくよいものをいっぱい持っているのですから、それを認識し、先人たちの誇り高い精神を取り戻して、世界のお手本となる国を目指したいですね。

阿久根市長選挙

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竹原信一氏が落選、極めて残念な結果となりました。
「住民至上主義」を掲げ、あれだけ市民のために尽くした市長にしてこの結果。
私ごときはなお一層、地道に頑張らねばなりません。

2011年1月15日土曜日

日本人の精神を、今こそ取り戻すとき。 前編

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日本人の精神を、今こそ取り戻すとき。 前編

『ジャパニスト』第6号(2010年7月発行)掲載記事
対談:金 美齢 × 中田 宏



戦後50年のあゆみ

中田 この対談では、「日本のことをもっと好きになろう」というテーマにそって、金さんにいろいろなお話をうかがいたいと思います。
 私は台湾の生まれですが、日本が大好きで、私だけではなく多くの台湾人は日本が好きです。それなのに、なぜか日本人が自分の国を語るときは「日本てダメ」から始まるのですよね。この風潮は戦後教育の影響もあるのかもしれませんが、本当におかしなことです。日本人が日本という国家に保護されているのは事実ですし、豊かな社会の中で生活できるのも国のおかげなのです。それなのに「日本はよい国だ」と語ることはずっとタブーした。以前、ある討論番組で社民党の福島党首とご一緒したとき、ある方が「案外、福島さんは愛国者ですね」と発言したら、福島党首は「違います、違います!」とあわてて否定していました。愕然としましたよ。口では「国民のために」と語り、国民の税金で活動している国会議員がですよ。呆れて何も言えませんでしたね。
中田 そこが今日の日本のおかしなところです。ところで、金さんと日本の最初の接点は何でしょうか。
 私は生まれた時点ですでに日本人でした。台湾は日本の統治下でしたからね。その頃の思い出としては、日本人の先生や兵隊さんにお世話になったということくらいです。そして終戦を迎えて中国人がやって来て、いきなり戦勝国の国民になったのです。当時は「祖国の懐に帰る」という言い方をしていましたが、当時の私には切実な変化と感じませんでした。
中田 敗戦国からいきなり戦勝国になったというのは、衝撃的だったことでしょう。
 台湾という場所はそういう複雑な歴史を抱えているのです。こういったことを曖昧にせずにしっかり学ぶことで、国も人も成長できると思います。
中田 日本が台湾を統治していた時代を、金さんはどう見ていますか。
 台湾は日本が初めて手に入れた新しい領土だったわけですが、日本人は「本土と同じようにしたい」と考えたんですね。これは日本独自の考え方だったと思います。西欧列強にとって植民地はあくまで植民地であって、本国と同じようにしようなんて発想はありません。搾取の相手でしかないのです。一方で日本は台湾を「本土並み」にしようとした。これを「いらぬおせっかいだった」ととるか「それが近代化のきっかけになったのだからありがたい」ととるかでこの五十年の価値が大きく変わります。
中田 台湾の大多数の方は後者の考えということなのですか。
 そうだと思います。歴史には必ず光と陰があります。これはどの国でも必ずそうなのです。台湾が日本の植民地になったことは間違いなく陰ですよ。しかし、一方でインフラが整い、日本人の素晴らしい精神を教えられ、教育水準も上がるなどして国としての基本が整いました。これは光の部分といっていいでしょう。
中田 日本の台湾統治に光の部分もあったことは、しっかり認識するべきですね。ただ、そこだけを見て当時の日本を正当化するのではなく、謙虚に歴史を見ることも必要ではないかと思います。
 歴史を解釈するというのは、起こった事実を公正に見るということです。正当・非正当の問題ではありません。もちろん台湾が植民地になるなんて二度とごめんです。台湾は台湾であって、日本にも中国にもなりたくはありません。ただプラスとマイナスをきちんとフェアに見て、総合的にどうであったかを考える。それが歴史を見るということだと思うのです。そして私個人としては、日本の台湾統治はプラスの方が多かったと思っています。しかし、それと正当かどうかの話はまったく別次元です。
中田 たしかにその通りですね。日本の歴史そのものに関しても、複眼的な目線が必要でしょう。その後、金さんはご自身の意志で日本に来られたのですか。
 最初は早稲田大学の留学生として日本に来ました。 
中田 大人になってから来日し、実際住んでみて、日本の印象はどう変わりましたか。
 来日する前の私は、東京といえば大都会で、華やかな夢のような場所と思っていました。ところが、羽田に降り立ち、下宿のあった若松町へ行くまでに見た町並みは雑然としていて、それまでの私のイメージとまったく違っていました。第一印象としては「これが東京?」というものでしたね(笑)。このギャップはもの凄かったですよ。ただ、もうひとつ同時に抱いた印象があります。来日した翌日、丸ノ内線に乗って大手町まで簡単に行たことに自分でも驚きました。まったく違和感がなかったんです。初めて来た土地であるにもかかわらず、ずっと住んでいた場所のような感覚で、すぐ街に馴染めました。ですから日本に来たときの印象は、「ギャップ」と「親近感」のふたつですね。
中田 その後、日本は高度経済成長からバブル経済へと大きく変化を続けます。東京の風景も日々変わり続けてきたと思いますが、金さんはそのようなダイナミズムの中をずっと日本で生きてこられたのですね。
 今振り返ると、私はまともにその中にいました。来日の翌年には六十 年安保闘争が始まりますが、私は早稲田大学にいたこともあってこの体験からは実に多くのことを学びました。
中田 安保闘争に関しては主義、主張で行動していた人もいれば、単に流れに乗っていただけという人もいたと思うのですが、実際のところ金さんの目にはどう映りましたか。 金 あれはほとんど流行といっていいでしょう。当時のファッションのようなものだったと思います。核心にいる数人の発言力がとても強く、メディアにはたらきかける。そしてメディアはそれを煽動するという構図だったと思います。
 安保闘争を身近で体験して、驚かれたこともあったのではないですか。
 まず感じたのは「なんでこんなに自由に発言できるの?」ということです(笑)。当時の母国は政府と対立することを言えば捕らえられるような状態ですから、それと比較すると、なぜこんなに言論が自由なのかと驚きましたね。しかし、よく見てみると声の大きい人が全体を牛耳っていて、大半の人はそれに煽動されているという実体が徐々にわかってきました。討論の場で少しでも違う意見を言えば激しく攻撃され、その発言は封じられて大多数はサイレント・マジョリティになっているというのが現実でした。 
中田 金さんご自身、発言はされなかったのでしょうか。
 安保問題に関して、私はかなり慎重でした。なにより私は留学生であるという立場がありましたので、この問題への発言はわきまえたほうがいいと感じていました。しかも安保の背景にあるさまざまな事情もよくわかっていませんでしたし、漠然とですが台湾にとっても日米安保はあった方がいいのではないかという気もしていました。ですから発言はひかえていました。
中田 そのような中でも多くのことを学んだわけですね。
 そうです。先ほどお話したとおり、自由に発言できることへの喜びがありました。これはとても素晴らしいことですし、貴重なことでもあるのです。一方で、メディアの情報のいい加減さも身をもって体験しました。煽るだけ煽っておいて、風向きが変わると一気に引いていくわけです。警官隊との闘争で亡くなった樺美智子さんのことに関しても、メディアは殉教者のように仕立てていましたが、実際のところは誰にもわからない。もしかしたら殺到した人びとが将棋倒しになった末の悲劇だったのかもしれませんよ。また、メディアは岸信介首相のことを、容貌も含めさんざんに表現していましたが、その後に直接お会いしてみるととても素敵な方でした。とにかくメディアの情報というのは曖昧なものがありますし、すべてを鵜呑みにしてはいけない。私たちはいつの時代にあっても、真実を見極める目を持つことが重要です。そしてそのためには、日々学び続け、自身を磨くことしかないと思いますよ。 

「学ぶ」ということ

中田 安保闘争についての言説の中で、よく「あの頃の若者にはエネルギーがあった」と耳にします。対して「今の若者にはそれがない」とも。金さんはこの二世代を比較してどう思われますか。
 あの紛争を見てくると、あの時の若者たちのうねりが本心からの行動であったのかとも思いますよ。ゲバ棒を持って盛んに運動をしていた人が、就職活動に臨んではリクルートスーツで身を固めていました。また、初志貫徹しようと試みた人たちの多くは、自分の人生をダメにしてしまいました。いずれにせよそのような時代があって今があるのは間違いないわけですし、一口にどちらがどうだとは言えないと感じます。また、政治的な発言はなるべく解りやすい言葉を使い、地道に継続するべきだというのも、この体験から得たことですね。
中田 なるほど。では、ここ十年くらいのあいだ、「閉塞感」が日本の社会全体を覆っていると言われ続けてきましたが、金さんご自身はそういった空気を感じていらっしゃいますか。
 今、日本の若者の多くは自分の未来を信じていないのではないでしょうか。しかも自分のために努力をする覚悟もなければ意志すらもない人が多いと感じています。若者がこのような状態なのは、まちがいなく閉塞感のあらわれです。これは冒頭に述べたことともつながりますが、自分やその属する地域、国への帰属意識がないことにも関係があると思います。おかれた環境や立場にまずは感謝する。その上で自分を高めていく努力をしなければ、幸福感は得られないのではないでしょうか。 
中田 日本と比較して、台湾の若者はどうですか。
 歴史的な背景もあって、台湾人は政治的な発言や行動をあまりしてこなかったと思います。統治者が良い統治をしていればそれでいいというような感覚があるのです。地理的に温暖でのんびりとした風土ということも手伝ってか、政治的なことで悩むよりは自分の生活を良くして、立身出世をするという方向に価値を見いだしていると思いますね。それと同時に日本とまったく違うのは、「学ぶ」ということに関しての意識の違いです。勉強するということを自分の問題として考えていますし、それが自分の価値を引き上げることにもつながると信じています。
中田 日本の子どもは「学ぶ」というより、勉強させられているという意識が強い。
 まずはその意義を真剣に説く必要があります。いい大学に入ることが学びのすべてではありませんよね。学びの本質をきちんと認識することができれば、日本人はもともと勤勉なのですから立ち直ることができると信じています。 
中田 では、若者に「なぜ勉強しなければならないのか?」と問われたとき、金さんならどうお答えになりますか。
 まず、勉強をしなくていいという理由はひとつもない。しかし、勉強しなくてはならない理由はいくらでもありますよね。これは基本的な事実です。そしてもっともわかりやすい私の答えは、「古今東西の先人たちが汗と涙と血を流して獲得した知的遺産を、努力するだけで自分のものにできる」ということです。専売特許もありませんし、莫大なお金がかかるというものでもなく、学びさえすればそれらを自分のものとすることができる。これはとてもありがたいことなのです。このことを多くの若者に説いていきたいと思いますね。
中田 一方で金さんのご発言には、日本の潜在力を高く評価するものも多くありますが、具体的にどのようなことでしょう。
 日本には素晴らしいものがたくさんあります。目に見えるものも、見えないものもあります。とりわけ私が声を大にして言いたいのは、台湾に残る「日本精神」という言葉。目には見えませんが、たしかに当時の日本人が持っていた「精神」です。これを活性化させていくということが極めて重要だと思いますよ。
中田 「日本精神」という言葉が台湾に残っているというのはとても興味深いことですね。これはどういうことを指した言葉なのでしょうか。
 日本が台湾を統治していた五十年間に残したものはたくさんあります。それはインフラであったり制度であったりと膨大にあるわけですが、それらを作り上げた日本人の態度や姿勢を指した言葉です。具体的に何が内包されるかと言えば、まずは向上心。そして仕事に対する情熱です。自分の仕事に誇りを持って大切にするという心。最近「匠の精神」という言葉を耳にしますがその根底にある精神でしょう。
中田 手を抜かずに自分の役目を全うするということですね。
 そうです。仕事を愛して全身全霊を傾けるという姿勢です。和を尊ぶという気持ちもそうでしょうし、さらに信用を第一に考える価値観。そして創意工夫をし続けるという日本人の姿。これらは世界に誇れる日本人のメンタリティです。台湾人はこういった日本人の素晴らしい心を総称して「日本精神」と言っています。これは統治時代ではなくて、日本人が去った後、中国の方式と比較して生まれた言葉なのです。 
中田 そのことを当の日本人がほとんど理解しておらず、しかも失いかけているのが皮肉なところです。
 ものごとは比較して理解できるということが多々あります。よく外国に行って日本の良さが改めてわかったという人がいますが、それはまさに比較して学んだからですよ。人間は比較して気づき、学ぶことができるのです。また、わざわざ外国まで行かなくてもチリやハイチの被害、アフガニスタンやイラクの惨状を知ることはできますよね。そこで我が身と比較してみる。すると自分が普段どれほど恵まれた環境に身をおいているのか、多くの自由を手にしているのか実感できます。そこから始めればいいことだと思います。
中田 それも含めて、「学ぶ」ということですね。自分の国の歴史をプラスもマイナスも含めて学び、その成り立ちや現在に至る経緯を身につける。そこに他と比較をしてみるという視点が入れば、日本という国の高い価値や素晴らしさがさらに浮き上がってくるのでしょう。
 その通りです。
中田 そこに気づくことができれば、日本人も自信を回復して、閉塞感など打開することができるかもしれませんね。 
 私はできると思いますよ。自分の両親を愛せない子どもは幸福にはなれません。国や社会だってそれと同じ。上の世代を反面教師にしたっていいのです。ただ基本としては両親を含め多くの先人たちのおかげで自分が存在しているということを認識して、正も負も受け入れるというところから出発することです。人間は生まれる時代や場所を選べませんからね。であれば、そのすべてを受け入れて、授かったものを肯定しながら進んで行くことがとても大切だと思います。
中田 人間はどのような悪い状況であれ、必ずそれを変える力を持っていると思います。与えられた環境の中で、いかに努力をして自分を高められるかが重要なのでしょうね。
 さらに加えると、自分の人生を自分で拓いてゆくという覚悟です。運命の女神というのは前髪しかないんですよね(笑)。ですから常に準備万端にしておかなければ女神様は通り過ぎてしまう。通り過ぎてからでは遅いのですよ。いつでも動けるようにしておくには、やはり日々学び続けて鍛えておくしかないのです。そしてそれが自立するということへの第一歩だと思います。

2011年1月12日水曜日

消防団員のこと

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私は消防団活動に参加した経験がありません。
火災報知機のことや出初式にお招きいただいたこともあり、知りうる範囲でご紹介。
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消防組織法の規定に基づき連合消防団が組織され、連合消防団長、消防団長、消防副団長及び団員が置かれます。

階級は、団長、副団長、分団長、副分団長、部長及び班長並びに団員。臼杵に15分団、野津に4分団が編成されています。
団員の総数は800名以内、団長の招集によって出動し、職務にあたります。
召集がなくても、水火災その他の災害の発生を知ったときは、直ちに出動し、職務に従事しなければなりません。

団員は、次の事項を遵守しなければなりません。
(1)住民に対し常に水火災の予防及び警戒心の喚起に努め、災害に際しては身を挺してこれに当たる心構えを持たなければならない。
(2)規律を厳守して上長の指揮命令のもとに上下一体事に当たらなければならない。
(3)上下同僚の間互いに相敬愛し、礼節を重んじ、信義を尽くして常に言行を慎まなければならない。
(4)職務に関し金品の寄贈又は饗応接待を受け、又はこれを請求する等のことがあってはならない。
(5)職務上知り得た秘密を他に漏らしてはならない。その職を退いた後もまた、同様とする。
(6)消防団又は団員の名義をもってみだりに寄付金を募り、又は営利行為をなし、若しくは義務の負担となるような行為をしてはならない。

団員には報酬や退職報奨金が支給されます。

2011年1月11日火曜日

住宅用火災警報機の共同購入のこと

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消防法により、一般住宅にも火災警報機の設置が義務付けられました。
今年の5月31日までに寝室や階段に設置しなければなりません。

これを受け、自治会、消防団、婦人防火クラブ、消防署を中心に「臼杵市住宅用火災警報器設置推進委員会」が組織され、早期設置を目的に、臼杵市全域を対象に共同購入を行うことにし、各区回覧で希望者を調査、12276個を共同購入、設置率は飛躍的に向上しました。

価格のこと、契約先のこと、設置補助(取り付け)のことで質問をいただきましたので調査報告。

回覧前に、市内12業者に3000個購入の場合の見積を徴収。最高は3980円最低は2250円。納入条件や支払い条件が提示されていないため、購入価格約2500円として希望者を調査。

結果12276個となり、条件を整えた後に納入可能かどうか業者に確認、2社が可能と回答。価格面や経済波及効果などを考慮、市内の小売店と業者の連合組合とパナソニック製の警報機を1個当たり2300円で納入する契約に。

現時点でインターネットで最低価格を検索すると、個数によって違うが送料や手数料を含んで1個2100円~2500円程度。市内の量販店で見ると、中国製のものが2400円程度でした。今回はインターネットで購入しない方も多いと思われ、お得な価格と言えます。

設置補助(取り付け)の希望の有無も調査され、希望家庭には消防団員が取り付ける運びにしたとのこと。設置補助については団長と副団長の判断で請け負い、各分団に指示され団員がその任に就いたようで、設置を任された団員はご苦労されたと推察します。
しかしそのおかげで自力では取り付けが困難な高齢者世帯なども安い費用で設置ができました。

今回の共同購入、区長や区役員、消防団の方々のご苦労の賜物。多くの方々が安い費用で購入設置ができました。取り組みに敬意を表します。
最後に、消防署の担当の方には多くの問い合わせの電話などがあり大変な苦労をされた様子、本当にご苦労様でした。

日本の改新

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読売新聞(1月7日)の特集記事。
胸に落ちる記事でしたのでご紹介。
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「識者に聞く」 伊藤隆敏(東大教授)

日本経済の低迷は、中長期的には少子高齢化による人口減が大きな要因だ。働きながら子育てができ、安心して子どもが産めるような環境にしていく国の努力が足りなかった。

一方、デフレを克服できないことも大きい。デフレの中では税収は増えず、企業は設備投資の意欲がわかない。それがさらにデフレを加速させる。日本は、物価下落と景気低迷が連鎖する「デフレスパイラル」に陥っていると思う。

日本銀行の金融政策の誤りが最大の原因だ。過去の手法にとらわれない金融緩和や、物価上昇率に目標を設けて政策運営する「インフレ目標」を取り入れるなどし、人々が「物価は上がっていく」と確信を持てるようにする必要がある。

日銀は2010年10月に決めた「包括緩和」で、不動産投資信託(Jリート)や上場投資信託(ETF)を買うことにしたが、これは10年前にわれわれ経済学者が提唱していた。対応が遅すぎる。

国の財政再建も急務だ。歳出の半分以上を新規国債発行で賄うというのは異常事態だ。特別会計などの「埋蔵金」を使ったつぎはぎも限界に来ている。

答えはみんな分かっている。消費税率を上げるしかない。

所得税や法人税を上げるのは難しい。年金など社会保障の給付を思い切って切るなら別だが、それもできないだろう。「消費税率を上げる必要がありますか」と聞くと、国民の5割以上が「必要がある」と答える。それなのに上げられないのは、政治の怠慢だ。

ギリシャなど欧州の財政危機はひとごとではない。日本ではまだ個人や企業の貯蓄を受け入れた銀行が国債を買い、債券市場が安定している。国債の95%を国内で引き受けている。

しかし、高齢化が進み個人の貯蓄は取り崩され始めた。財政赤字が今のままなら、国債の安定消化ができるのは最大であと5年ではないか。いったん銀行が「日本国債を売りたい」と考えるようになれば、長期金利の急騰などパニックはすぐ起きる。

消費税率は当面、「経済成長がプラスであれば毎年2%ずつ上げ、マイナス成長になった場合は引き上げを停止する」というようなルールを作ることを提案したい。単純計算では、財政の健全化には最終的に15~20%の引き上げが必要だ。

今後、経済成長をどこまで押し上げられるか、歳出のムダをどこまで切れるかで終点は違ってくる。

少子高齢化の中で成長を続けるために有効なのは、貿易の自由化だ。自由貿易協定(FTA)の締結や、環太平洋経済連携協定(TPP)への参加が重要になる。モノや人、金が海外と自由に行き来するようになって始めて、日本が得意とする技術や人材が生きる。

農業団体が強く反対するが、FTAやTPPは農業にもチャンスを与える。守りではなく、いかに農産物を輸出するかという攻めを考えるべきだ。農産物の生産から出荷、流通までの仕組みを見直せばよい。農協と競争する形で、商社が本格的に農業分野に参入できるようにする。商社は海外に売るノウハウや販売網を持っている。

成長分野として医療・健康も有望だ。今は一律のサービスを一律の価格で提供しているため、潜在力はあるのに産業として育っていない。高価格でも、質の高いサービスを提供するべきだ。アジアの富裕層らが日本に人間ドックや病気の治療のために来るようになる。英語ができる石を増やしたり、保険診療と、保険の聞かない自由診療が併用できる「混合診療」を広く認めたりする必要がある。電化製品でも自動車でも高級品があり、それを特定の人に売って利幅を広げ、あとは広く薄く提供している。同じようなことが農業や医療、教育などでもできるはずだ。

一方、根本的な課題は人口を増やすことだろう。現在、「団塊ジュニア」と呼ばれる第2次ベビーブーマーが30歳代後半から40歳前後になっているが、彼らが親となる第3次ベビーブームは起きなかった。あと4、5年チャンスがある。

対策として、安心して子育てができるよう、小児科医の不足や、保育所に入れない待機児童の問題をすぐに解消すべきだ。子ども手当より優先度が高い。

社会保障制度では、若者と高齢者世代の不公平感を和らげる。そのために、消費税で社会保障制度を支える体制にしていかなければならない。このままでは負担は今の若者や、これから生まれる子供たちにどんどん回ってしまう。

消費税率を上げる際は、請求書などに税額の記載を義務付ける「インボイス」(税額票)方式にし、ミルクやパン、コメなどの生活必需品にはゼロ税率を採用することも検討すべきだ。

2011年1月9日日曜日

ミニライブINクランクイン

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久しぶりに顔を出しました。
高校生ユニットも出演したとのこと、遅れて行ったため聞き逃しました。
「福袋」の田中さんが3曲。
「竹とんぼ」の平川さんが3曲。
http://hakudoumura.pepo.jp/profile-ta.html
最後に二人で2曲。

毎週金曜日18:30より、参加費は1000円(1ドリンクつき)となっています。
まだ、細々とした催しですが、続けていきたいと店長以下はりきっています。

2011年1月7日金曜日

あとから来るもののために

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あとからくる者のために
苦労するのだ
我慢するのだ
田を耕し 用意しておくのだ

あとから来るもののために
しんみんよ
お前は 詩を書いておくのだ

あとから来る者のために
山を 川を 海を
きれいにしておくのだ

みな それぞれの力を
傾けるのだ

あとから あとから 続いてくる
あの可愛いい者たちのために
未来を受け継ぐ者たちのために

みな それぞれ 自分でできる
何かをしてゆくのだ
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「あとから来るもののために」坂村真民

大塚静峰 書作展

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中國陶瓷美術館併設ギャラリーHARUにて開催中です。
http://www.visit-oita.jp/pickup/2010_h2/yukyunosyo.html
臼杵を代表する書家・大塚静峰氏の古希、書業55年を記念する作品展。
私もいつかは「書」に親しんでみたいと考えているのですが。
なかなか実行に移すことができていません。

それでなくても、昨年末50歳の手習いということで「アルトサックス」を購入。
いつかはと思っていたところ、年末のチャリティーショーで演奏を聞き衝動買い。
音を出す練習からぼちぼち始めている次第。

「書作展」は3月13日まで開催されています。
静寂の中、書を鑑賞、心が洗われるような心持になりました。

2011年1月4日火曜日

新年祝賀互礼会

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商工会議所主催で開催されました。
市長、商工会議所会頭、議長、国会議員、県会議員の挨拶の後、ジュースで乾杯。
その後、皆さん互いに新年のご挨拶。
お酒は一切無く、約1時間くらいの互礼会です。

市議会議員になって初めての互礼会。
このような場でしかお目にかかれない方々にもご挨拶ができました。

昨年のこの時期は退職を決め、市議会議員選挙への出馬は決意していたものの一介の県職員、このような場にはご縁が無かったのですが、応援してくださる先輩の勧めとお誘いがあり、出席することで無言の出馬宣言を行ったことを遠いことのように思い出します。

2011年1月2日日曜日

政治家の年賀状のこと

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政治家は、選挙区内の人に年賀状などの時候のあいさつ状を出すことは禁止されています。
ただし、答礼のための自筆によるものは禁止されていません。

たくさんの方々から年賀状をいただきました。
本当にありがとうございます。

答礼のための自筆の書状を差し上げるべきところですが、なにぶん拙筆であり、
市内の方につきましては「議員だより」を携え、ご挨拶に伺うつもりでおります。
しばらくの猶予をお与えくださるようお願い申し上げます。
-------
公職選挙法

(あいさつ状の禁止)
第147条の2 公職の候補者又は公職の候補者となろうとする者(公職にある者を含む。)は、当該選挙区(選挙区がないときは選挙の行われる区域)内にある者に対し、答礼のための自筆によるものを除き、年賀状、寒中見舞状、暑中見舞状その他これらに類するあいさつ状(電報その他これに類するものを含む。)を出してはならない。