2013年6月16日日曜日

多良木町議会が職員給料削減案を否決

http://kumanichi.com/news/local/main/20130614005.shtml
(以下引用)

多良木町議会が職員給料削減案を否決 県内初 2013年06月14日

 多良木町議会は14日、国家公務員の給与削減に準じた町職員などの給料を削減する条例案を全員一致で否決した。本紙の調べでは、職員給与などの削減案を6月定例会で否決したのは県内で初めて。

 国は東日本大震災復興財源捻出のため、2013年度までの臨時措置として国家公務員の給与を平均7・8%カット。7月から地方公務員給与も引き下げるように要請し、本年度予算で地方交付税を6千億圧縮する方針を示していた。

 このため同町は7月から来年3月まで職員の給料月額を3・1%カット、町長、副町長、教育長は月額から2万5千円~1万7千円減額する条例案を町議会に提出した。

 同日の本会議で議員からは、「地方はこれまでも職員数削減など努力してきた」「人事院勧告とは違う。国のパフォーマンスにのるべきではない」など反対が相次ぎ、議長を除く全13人が反対した。

 松本照彦町長は本会議後、全員一致の否決に「再提案は難しい」と述べた。その上で、「交付税を減らす国のやり方に疑問はあったが、自治体で対応が分かれては住民の理解を得られないという思いだった。交付税の減額分は、住民生活への影響を最小限に抑えたい」と語った。

 地方自治に詳しい県立大の桑原隆広教授は「交付税の使い道や職員給与は各自治体が決めるべきで、地方自治の在り方として議会の判断はおかしくない」と指摘。「交付税の減額分を行政サービスの低下で補わなければならないことを、議会はしっかりと住民に説明する必要がある」と話した。(岩崎健示)

-------引用ここまで

否決する議会もあるようです。しかし、削減しなければ行政サービスの低下で補わなければならないことは事実。このことを考えれば「削減反対」とは、私は言えません。

6 件のコメント:

  1. 「行政サービスの低下で補わなければならない」

    興味深いですね。同じ言い回しなのに桑原教授と若林市議の意味は真逆。

    桑原教授のお考えでいくと、市民は余ったお金で行政サービスを受けているということか。

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    1. 「給与削減」をしないという議会判断により「行政サービスが低下する」という事態を招くことが住民には十分には理解されていないまま「議会判断」されたという考え方にたって教授は話していると思われます。

      すなわち、そのことが住民に十分説明されていれば「結果」は違っていたかもしれないと言外に匂わせているとも取れます。

      職員給与と行政サービスは同じ財布から出るものです。今回の判断は「職員給与を守る」のか「行政サービスの低下を防ぐ」のかという議会判断となります。

      「地方自治」の観点からはどちらの選択もありえます。全ては住民の代表である議会(議員)が判断することです。

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  2. 問題の本質は,(給与額を固持しようとする役所のほうにではなく)交付税制度それ自体にあるでしょう(物事を単純に捉え,財源がないのだからと公務員たたきをするべきでない)。

    地方交付税法第1条に,「地方団体が自主的にその財産を管理し,事務を処理~する権能を損なわずに,その財源の均衡化を図り~地方行政の計画的な運営を保証することによって,地方自治の本旨の実現に資するとともに,地方団体の独立性を強化することを目的とする」とあります。

    団体間において,著しい不均衡が生じることを避け,地方自治の本旨を実現し,地方団体の独立性を強化することがその目的ですから,国において裁量的かつ恣意的にいろいろ基準を定めることは,この点において妥当しないわけです(日本国憲法の規定を具体化するための法制度の一つといえるでしょう。)。

    つまりこういうことがいえます。交付税制度が行うべきことは,交付税交付金を受ける団体の財政需要を,機械的に計測し,且つ右団体に対し,機械的に計測された財政需要に応じた使途自由の交付金を,機械的に交付するということです。

    今回,国は,財政需要を計測する際,政府としてのパフォーマンスを行うために,恣意的な内容に基づく各自治体の財政需要計測を行いました。国家公務員の給与を引き下げるから,当然,自治体においても下げるべきだとして,財政需要計測を行う際の基準を恣意的に定めたわけです。

    その結果として,地方交付税交付金を不当に,かつ大幅に減額したわけです。

    地方公共団体は,本来,国に従属する立場にありません。

    地方公共団体は,国に対し,自身の財政需要を満たすよう要求する権利がある立場にあり,国は,それに応える義務がある立場にあります(権利あるところ義務ありというのは,本来的にはこのような意味です。)。

    今回の地方交付税の一方的な減額は,地方自治の本旨に対する,国による重大な挑戦であると受け止めることが可能でしょう(国の事情は,本来,地方公共団体には関係がないはずです。)。

    とするとですね。臼杵市においても,臼杵市が臼杵市たりえる地方自治を堅持するために,たとえ戦った末の破滅的結末があるのだとしても,国に戦いを挑むべきですよね。

    自由と独立と尊厳を守るために,憲法の精神にもとる政府による地方交付税法の一方的運用は許さないとするべきですよね。

    その点,どうお考えですか?

    >>交付税の減額分を行政サービスの低下で補わなければならないことを、議会はしっかりと住民に説明する必要がある

    当然説明する義務が議会にはあるでしょう。しかし,そのことを住民に十分説明されていても,結果は異ならなかったでしょう。もし変わってしまった,それは義務者たる国によりされた不当な要求に住民を巻き込んだ上で地方公共団体が屈してしまったということですから,我が国における地方自治の価値はその程度であった,ということを露呈してしまう結果になっていたでしょう。

    市民ならば,不利益は甘受してでも,不当なことは不当だと,はっきり言うと思います。
    だって,自分ん家の家計に土足で踏み込まれ,なになにを削れ,なになにを削れと言われたあげく,削らなくても削ったものとして給料も減額する,とか言われるのは変でしょう。

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    1. ご指摘の通り、地方交付税を削減しその分の給与削減を迫る方法は「地方自治の本旨に対する,国による重大な挑戦である」と思います。

      しかし、国家財政が重大な局面にあり、公務員給与を削減してでも財源を確保しなければならないという考え方には頷けます。今回の措置は財政危機を迎えている国及び地方公共団体の職員給与というものを考えさせるためのパフォーマンスの色彩も濃いと思います。

      しかし、給与削減分の相当額の地方交付税を削減されることは現実であり、行政サービスのレベルを下げないためには「給与削減」を行うしか道は無いと思います。

      >臼杵市においても,臼杵市が臼杵市たりえる地方自治を堅持するために,たとえ戦った末の破滅的結末があるのだとしても,国に戦いを挑むべきですよね。

      地方自治を堅持するという名目で、財政状況とは関係なく職員数や職員給与を堅持する地方自治体が、挙句の果てに迎える「破滅的結末」を市民が選択するでしょうか。
      もっとも、破滅的結末を迎える前に「財政再建団体」の指定を受け、国による強権的指導がなされます。その際には職員数・職員給与も当然例外ではありません。
      それを待たなければ職員数・職員給与は下げられないという見方もあります。それこそ「地方自治」の名折れです。

      >当然説明する義務が議会にはあるでしょう。しかし,そのことを住民に十分説明されていても,結果は異ならなかったでしょう。もし変わってしまった,それは義務者たる国によりされた不当な要求に住民を巻き込んだ上で地方公共団体が屈してしまったということですから,我が国における地方自治の価値はその程度であった,ということを露呈してしまう結果になっていたでしょう。

      「職員給与削減」を前提に「地方交付税」が削られたなら、不本意ながらそれに従うべきであると多くの市民は考えると思います。
      確かに国のやり方は「土足で他人の家に踏み込む」やり方で、地方自治の観点からは大変遺憾なことと思います。

      しかし「地方自治」といいながら財政状況に関係なく給与横並びを市民が認めているとは思いません。今回の事態を受けて自分たちの市の「職員給与」はどうあるべきなのかを考えるきっかけにしたいと思っています。

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    2. >>給与削減分の相当額の地方交付税を削減されることは現実であり、行政サービスのレベルを下げないためには「給与削減」を行うしか道は無いと思います。

      国に言われる筋合いはない,ということと,職員給与の適正化(という名の引き下げ)の話は,あくまでも別ですよ。

      私が「引き下げ反対!」に近いことを言うのは,「国に言われるがままに,引き下げるのは反対!」という限度でのことであり,自治体としての「自治」を守ることが目的です。

      だから,国からの干渉が形式上存在しなければ(「交付税交付金の無理矢理な削減はしないが,国家公務員も給与を引き下げるので,地方でも考えてほしい」+「引き下げに応じない場合,国の裁量の範囲内でのいろいろな不利益等を及ぼす」程度なら問題なし。)(このことは,少々の実質的干渉はやむを得ないということを意味します。),職員給与を削減することは,市民的合意の結果としてする限り,差し支えません(というより,納税という負担を負っている者としてみれば,合理化は必要だろうと考えます。)。

      件の議員さんたちにしても,地方自治の本旨にもろにかかわってきますから(当然,これに加えて職員さんからの圧力もあるでしょうから),国から言われるがままに削減するのはやりづらいでしょう。

      >>地方自治を堅持するという名目で、財政状況とは関係なく職員数や職員給与を堅持する地方自治体が、挙句の果てに迎える「破滅的結末」を市民が選択するでしょうか。

      本来ならば,客観的な財政需要に応じた措置義務が国にあるにもかかわらず,それをしないことによって財政状況が悪化した場合,その責任は国に存在します。

      市民としては,当然市に対し,不断に,職員の給与水準が,適切な水準に落ち着くよう求めるでしょう。しかし,それは市民自らが求めるからであって,国から指図されるがままにすることはあり得ないというだけのことです(かなり形式論的ですが,大事なことです。)。
      国からの不当な干渉がある場合,この干渉を排除するために法廷闘争をしたり,世論に訴えたりする必要があるでしょう,その結果として,いろいろな不利益が及ぼされる危険性がありますが,それらはすべて甘受しなければならないでしょう,ということです。
      市役所職員の給与問題ですが,一度前例を作ってしまえば,歯止めはきかなくなります。そのために対応する必要があるということです。

      >>国家財政が重大な局面にあり、公務員給与を削減してでも財源を確保しなければならないという考え方には頷けます。

      国家財政が重大な局面にあるのは,国民が相応の負担をしなかったことが遠因としてあるでしょう。

      ところで,公務員給与を引き下げた場合,当然,民間も給与引き下げに動くでしょう(このあたりの問題は,生活保護水準の引き下げと関連がありそうです。)。
      結果,個人消費は落ち込み,税収減少の可能性がある。

      職員給与をいたずらに引き下げるというのには,賛成しかねますね。

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    3. >職員給与を削減することは,市民的合意の結果としてする限り,差し支えません(というより,納税という負担を負っている者としてみれば,合理化は必要だろうと考えます。)。

      今回の「交付税削減による強権的給与削減圧力」は短期的な時限措置(今のところ来年度限り)であり、今後の「市民的合意の結果の職員給与削減」は今後大いに議論すればよいことと思います。

      >客観的な財政需要に応じた措置義務が国にあるにもかかわらず,それをしないことによって財政状況が悪化した場合,その責任は国に存在します。

      地方交付税は機械的に配分されていると思います。そう信じたいです。今回は「給与削減」部分のみを削減するものですから措置義務を怠っているとは思いません。

      >市役所職員の給与問題ですが,一度前例を作ってしまえば,歯止めはきかなくなります。そのために対応する必要があるということです。

      大いに議論し「市民的合意の結果」削減するのですよ。歯止めが利かないようなことは生じないと思います。そういう危惧を持つこと自体「地方自治」が機能していないということをご自身が考えている証左だと思いますが如何でしょうか?

      >公務員給与を引き下げた場合,当然,民間も給与引き下げに動くでしょう(このあたりの問題は,生活保護水準の引き下げと関連がありそうです。)。結果,個人消費は落ち込み,税収減少の可能性がある。

      公務員給与を下げない理由としてよく使われる論法です。闇雲に下げろといっているわけではなく、国準じるという理由だけを金科玉条のごとく述べるのではなく、地方の実態を反映する努力も必要と思うところです。

      また、給与を下げた場合と下げない場合に生じる差、つまり財源については「行政サービスの維持・向上」に活用できます。定住促進やコミュニティバスの運行、子育て支援など様々なことが考えられます。

      給与削減する場合、子育て世代には影響が大きいです。適正な手当の支給や能力評価をセットで考える必要があります。
      「代休措置されても休めない」「仕事ができる人間に仕事が集まる」「残業する人はどこの職場に異動しても残業する」そういう世界ですから。

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