2011年10月19日水曜日

常陸のこころ(2)


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-------以下asahi.comより

常陸のこころ

(2)姉妹の古里 子孫今も

2011年10月11日
写真
巡礼姿の二孝女を描いた鏝絵。1995年に作られた=大分県臼杵市野津町の市立川登小学校
2005年3月、元目白大教授(近世文化史)の秋山高志さん(76)は、路線バスで大分県臼杵市野津町に向かった。山が迫り、民家もまばら。心細さが頭をもたげた半面、江戸時代にはるばる常陸の国を訪れた初右衛門の古里に近づいていると思うと心が躍った。
野津町はその1月に臼杵市と合併したばかり。旧町役場の分庁舎などを回ると、「川登小学校の校舎に二孝女の鏝絵(こて・え)(しっくいで作ったレリーフ)や石碑がありますよ」と職員が教えてくれた。
タクシーで10分ほど。右手に2階建ての小さな小学校が見えてきた。校門の脇に明治時代に建てられた顕彰碑、校舎の正面には初右衛門の二孝女で巡礼姿のツユ、トキを描いた大きな鏝絵。手応えを感じ始めた。「こういうときは続くもの」。歴史家の直感だ。
「供養碑の場所を知っていますよ」。声の主は運転手だった。目と鼻の先の小高い丘にそれはあった。つぶさに観察していると人の気配。白い犬を連れた小柄なおじいさんが怪訝(け・げん)そうな顔を向けていた。
「まさか子孫はいないでしょうね」
「すぐそこの家だよ」
幸運はさらに続く。子孫の川野勝行さん(67)の妻美千代さん(67)が在宅していた。川野さんは入院中で、たまたま着替えを取りに帰ってきていた。
来意を告げ、仏間で待っていると、古ぼけた木箱を抱えてきてくれた。目を見張った。ツユ、トキが持ち帰った短冊帳や巻物などが入っていた。短冊帳を開くと、常陸の国の武士から商人、農民ら各層の人々が2人に贈った短歌、漢詩などがきれいに張られていた。
水戸藩の古文書「水戸紀年」にあった記述、そして今回の発見。秋山さんは水戸に戻ると、本格的な調査に入るため、歴史家や旧知の学芸員ら13人で「二孝女研究会」を設立した。
ほどなく今度は、常陸太田市の青蓮寺(しょう・れん・じ)で遺物が見つかった。ツユ、トキからの礼状、臼杵藩や初右衛門の菩提寺(ぼ・だい・じ)・善正寺からの書簡――。土浦市立図書館と東大史料編纂所(へん・さん・じょ)にも関連の史料があることも分かった。
翌年3月、研究会は史料集「豊後国の二孝女」を刊行した。初版は500部で、2カ月後にはこの種の本としては異例の増刷をかけた。歴史家だけでなく教育界も注目し始めた。一般の読者向けに現代語訳を求める声が高まった。
07年、常陸太田市出身の著述業、橋本留美さん(41)に話が持ち込まれた。「すばらしい話だけど、古典は難しいし、私にできるかしら」
不安を抱えながら、作業に取りかかった。 

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