2023年9月8日金曜日

ワクチン問題研究会発足記者会見

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2023年8月9日水曜日

人と政府は別だという考え方

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意識操作で人が支配されてしまうのは、国=人(自分)、社会=人(自分)という意識が根本にあるからなのだ。人と政府は別だ、人と国は別だ、と考えて、人は人として考え始めたら、あるいは私たちは分断支配から速やかに抜け出して、調和する関係を作っていけるのかもしれない。
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【人と政府は別だという考え方】
自分の国が過去にやった戦争のこととかになると、私たちは国=自分みたいに考えてしまうようなところがある。何があったかによって、日本人として誇りに思えるとか、恥ずかしいと思うとか、罪の意識を持つとかだ。それによって、自分を卑下するような気分になったり、あるいは優等意識を持ったりする。

だけど、その国というのは、実のところ当時の為政者がやったことにすぎないのだ。今現在の政府のすることだって、国民が決められるわけではない。この頃、近代の政治システムについていろいろなことが表に出てきて、民主主義のシステムだって、国民の総意などと言えたものではないことがわかってきた。選挙だって裏で操作されていて、実はごく一部の金融資本家たちが自在にすげ替えていたりするし、情報だって都合よく変えられていて、真実を知らされていたわけでもない。ましてや過去の政治家がやったことなど、どうしてその人と関係があるだろう? 

国と自分とを同一視してしまうというのは、外国に行ったりしたときによくわかる。何だか自分が日本代表みたいになってしまって、日本がやったことを言い訳してまわらなくてはいけないような気がしたりする。とりわけ過去の戦争犯罪に関する話題が出たりすると、まるで自分が責められているような気がして、恥ずかしいと思ったり、隠そうとしてみたり、弁解しなくてはいけないような気がしたりする。だけど、こうしたことは、つまるところ、過去のできごとを率直に見ることを妨げてしまうだけなのだ。

ロシアでは、人と政府とは別だという風に考えるのだと、ロシア在住のドイツ人ジャーナリスト、トーマス・レーパーが言っていた。ドイツは昔ナチの時代にソ連に侵略した国だから、ロシア人に嫌われるんじゃないかみたいな思いがあったらしいのだけれど、ロシア人はまったくそんな風には考えないのだそうだ。「国がしたことと人とは違うでしょ? あなたに責任があったわけじゃないでしょ?」とロシア人たちは誰でもそう言うのだと言っていた。

少し前に、ロシアの街の人たちに、「あなたはアメリカ人が嫌いですか?」と聞いてまわっている動画が拡散されていたのだけれど、誰も彼もすぐさま「ニエット(いいえ)」と答えていた。何でそんなことを聞くのかわからない、といった風な、不可解な顔つきをしていた。ロシアはアメリカ政府にはさんざんな目に遭わされ続けてきたわけだけれど、それとアメリカ人とは何の関係もない。アメリカ人だからといって、好きだとか嫌いだとか決められるようなものじゃない。その動画を見ると、ロシア人たちは、本当にそういう風に考えているのがよくわかった。

西部のウクライナ人たちが、ロシア人を嫌っているのと対称的に、ロシア人はウクライナ人を嫌ってはいない。もちろん、攻撃してくるウクライナ人とは戦うけれど、だからといってその人をウクライナ人だからと嫌っているわけではない。それは、ロシア兵たちのウクライナの捕虜に対する寛大な扱い方でもよくわかる。ロシア人たちは、ウクライナ兵を政府の犠牲者として考えているのだ。騙されて、利用された不幸な人たちだと。だから、捕虜に対して腹いせをするようなこともないし、驚くほど簡単に釈放してしまったりする。軍事介入が始まったばかりの頃は、「もう戦いません」という書類に署名させて、そのまま帰したりしていたくらいだった。それは、政府と人は違う、という考えが基本的にあるからなのだ。
しかし、ロシア人もいつも政府がしたことと人は違うと考えていたわけではない。第二次世界大戦のあとで、占領軍としてドイツとオーストリアにやってきたロシア人たちは、生き残っていた住民に腹いせをした。この大戦で、ソ連はナチスドイツの最大の犠牲者だったから、無理もないといえば無理もないことだった。やってきたロシア人たちは、戦争で犠牲になった人々の遺族だったりしたというのだけれど、彼らはナチスの土地に来て、ナチスがソ連の人々に対して行ったように、略奪したり強姦したりということをさんざんやったのだ。それで、ドイツやオーストリアでは、ロシア人は残虐だという印象があとあとまで残ってしまった。このことについて、プーチン大統領は、オリバー・ストーンのドキュメンタリー映画で、「ソ連軍はナチスから国を守るためによく戦ったけれど、戦争のあとで蛮行を行ったのはよくなかった」と言っている。

人と政府とは別だという考えは、いつからロシアで普通になったのかわからない。ソ連の時代にすでにそうだったのか、あるいはプーチンの時代になってからそうなったのか。しかし、プーチン政権がわずか数年で、腐敗でボロボロになっていたロシア経済を立て直すことができたのは、まさにこの、人と政府は違うという考え方のおかげだったと思う。当時のロシアは、腐敗でひどいことになっていて、何も信頼することができないような状態だったらしいのだけれど、人は国とは違う、組織や社会とは違う、と考えて、人を信頼したのだ。プーチンは就任して間もなく、テレビの全国放送でライブで「これまでのことはいいから、明日から規則を守って、政治家を買収するのはやめるように。税金の申告をちゃんとして、税金を払うように。明日から規則を守れば、これまでのことは追究しない。」と言ったのだそうだ。それで、8割がたの企業は規則に従い、たちどころに政治腐敗を一掃することができた。規則に従わない一部のオリガルヒたちを追究して、追放すればいいだけだった。そうしてプーチン政権は、わずか数年で経済を立て直すことができたのだ。

このことは、たとえどれだけひどく腐敗した社会でも、8割の人々は、仕方なくまわりに合わせていただけだということを示している。ほとんどの人たちは、腐敗した社会の中で、いつも相手を出し抜こうとして画策しているのなんかは嫌なのだ。公正に仕事ができる社会で生きたいと思っている。社会や組織の中でしかたなくやっていることとは関係なく、人は人だと信頼して、それに賭けたからこそ、プーチン政権は腐敗の極みだったロシア経済を速やかに立て直すことができたのだ。

国と人とが同じだみたいな考えになっていると、たとえば国がやったことを肯定しないと、反日主義者だみたいなことになる。たとえ過去の為政者がやったことでも、それを否定すると、日本人全員が否定されるみたいに思ってしまうことになる。しかしこれこそは、政府がやることに人々を無条件に従わせるための論理で、これを全体主義とも言う。かつての日本で、「非国民」と言っていたのと同じなのだ。政府がすることを全肯定しない人間は、社会に害をなすかのように思い込ませると、大半の人々を自分から従わせてしまうことができる。

パンデミックのときも、ウクライナの戦争のことでも、まさにこうした意識操作をすることで、ほとんどの人々が自分から政府の望むようにするようにしてしまった。自分からそのようにするだけではなくて、他の人々に同調圧力をかけて強要しさえした。ある心理学の調査で、黒のものを白だと言っても、皆が白だと言っているという印象を与えると、75%の人は黒のものを白だと言ってしまうのだという。それは、国=自分、社会=自分という考えが深く入り込んでいるからなのだと思う。反射的に、まわりと同じようにしなければと思ってしまうのだ。

パンデミックの頃から、これまでの世界がどれだけメディアによる意識操作によって支配されてきたかということを、まざまざと目の当たりにしてきた。つまるところ、意識操作で人が支配されてしまうのは、国=人(自分)、社会=人(自分)という意識が根本にあるからなのだ。人と政府は別だ、人と国は別だ、と考えて、人は人として考え始めたら、あるいは私たちは分断支配から速やかに抜け出して、調和する関係を作っていけるのかもしれない。そうなったときに、一体どれだけの力を、国=人という考えの中にすべてをはめ込もうとして、無駄に使っていたかということに気づくのかもしれない。
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