2016年10月12日水曜日

公共交通の充実で年齢を重ねてもいきいきと暮らせる町を目指します

公共交通の充実で年齢を重ねてもいきいきと暮らせる町を目指します

これからは免許を持たない人が増えます。私の父も免許を返納後「コミュニティバス」で外出や買物を楽しんでいます。市内のどこに住んでいても、買い物や病院通いのために公共交通で出かけられるよう、その充実が必要です。

市内循環バス「ふぐバス」は大変好評ですが、乗車賃では採算がとれていません。かなりの額の税金が投入されていますが、公共交通の充実は切実な課題です。的確なニーズ調査を行い、多くの利用が見込まれる路線にはコミュニティバスを導入し、その他の地域においては「乗り合いタクシー」の導入により公共交通を充実させたいところです。

19 件のコメント:

  1. ふぐバスを利用出来る人は恵まれた人。遠いバス停・死ぬ思いでバスで病院に行くか。往復5000円以上かけてタクシーで行くか」
    「住宅手当だす金があるなら交通弱者に対策を」
    「山間部の通学バスが市内に戻る空便を、町に向う高齢者の足にできないか?」
    山間部年金生活者の声です。よろしくお願いいたします。

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  2. ふぐバス、運行が工夫され逆回りが登場し好評を得ています。乗降客が多く見込める路線ではコミュニティーバスが有効ですが、山間部で乗降客が多く見込めないばあいには、予約制の乗合タクシーの仕組みが有望と考えています。

    運営には交通事業者の協力と運営のための資金が必要ですが、優先されるべき政策課題と考えています。持ち家手当の廃止や事業仕訳を実施することで、必要な施策に予算を回すことを考えています。

    通学バスの活用については、保護者の理解や学校の都合で急に時間変更が生じた場合の連絡方法などの課題がありますが、検討していきたいと考えています。

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  3. 事業仕訳 → 事業仕分け です。

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  4. 乗合タクシーは「通院日のエリア分け」「明確な料金体系づくり」
    通学バスの活用は「行政の柔軟な対応」
    公共バスは「特定時間の病院・スーパー・郵便局などバス停の増加」等

    公共交通と共存しつつ、
    地域格差を埋める行政サービスが行われるようお願いいたします。
    往復5000円を超えるタクシー代は致命的
    多発する高齢者の誤操作事故… まったなしです。

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    1. 個人の移動に「税金」を投入することになり、個人負担と公共負担のバランスが大切になります。

      タクシーであれば料金はかかりますが時間や目的地は自由です。「乗り合いタクシー」を導入すればタクシーの業務を圧迫する恐れがあります。逆に移動のニーズの掘り起こしになるかもしれません。

      仕組み如何では、税金の投入が多額になる恐れがあります。まずは、公共が負担するサービスの最低レベルをどの程度にするか、目標設定が必要となります。例えば、市内全域において、週2日、午前・午後一便を確保するなどです。

      また料金体系ですが、通常のタクシーの1/3程度となるようにし、遠距離ほど割引率を高めることなどが考えられます。

      自宅からどこへでも行けるようにするのは仕組み上困難と思われますから、自宅からから市街地エリアの移動に限るようなことも考えねばなりません。

      「通学バス」の活用についてですが、学校の都合により運行時間が変わったり、運行しない場合などへの対応が課題です。

      「公共バス」については、増便要望もありますが、限界があり、「乗り合いタクシー」の導入やコミュニティバスに置き換えられないかなどの踏み込んだ検討が必要と思われます。

      しっかりとした検討の上で、覚悟を持って組み立て、試行錯誤を繰り返しながら、サービスレベルとあり方や個人負担と公共負担のバランスなどを模索することになりそうです。

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  5. 財政的に厳しい臼杵市に,市内のどこにいても出かけられるように公共交通機関を充実させることは,よほどの仕組みを考えないと現実的ではないと考えます。
    むしろ中心部の公営住宅を独居老人や老人世帯向けに集中して整備し,人口過疎地での新たな建築の制限,公共交通やインフラ設備の改修を制限し,引っ越しについて補助金を導入して引っ越しするよう誘導すれば,将来的な負担は,減るのではないかと考えます。

    地域住民も行政にすべてお願いして何かをしてもらうという考えを捨てねばならないと考えます。仮にバス等を運営するにしても,市内のどこにいても利用可能なバスの運営は,財政的に,持続性がありません。とすると,財政的に合わないとしても持続可能なシステム,つまりは行政側は最小限の支援をし,後は地域住民で回すということが考えられますが,とすると,運営主体側の高齢化という問題が生じます。

    なぜ公共交通が問題になるのかといえば,広い臼杵市に,移動の需要を抱えた方々が散在しているために,個々の需用者が,他者が運営する移動システムのコストを負担しきれないからです。だから無理をしてでも運転をしてしまい,悲劇が起こる。運転をすることができない人たちは,もっときつい思いをすることになる。

    そこで,需用者の方々にも一定の負担をお願いして,中心部の公共住宅等に住んでいただけば,移動コストを下げることができます。追加費用の低下による安価な給食サービスも実現可能でしょう。

    もっとも,住み慣れた場所を離れてもらうことは難しいことだと思います。そのことのケアを十分する必要はあるでしょう。

    当然,過疎地切り捨てという批判も十分に成立します。はっきり言うと過疎地切り捨ての策ということも十分承知です。

    でも事業仕分けで恒久財源がざっくざく出てくるとはとても思えませんし長期的に税収が減ることを考えれば,広い土地に需要者が散在しているという構造をどうにかする必要があります。

    そのための中心部での公共住宅整備,人口過疎地での意図的な投資抑制,引越費用の補助政策になります。

    有権者の相当数を敵に回すかもしれない政策ですが,やる必要があると考えますが,いかがでしょう。

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    1. 縁辺部の世帯の方々に中心部に移住してもらう施策はかつて私も考えたことがあります。全員の合意が得られて、その地域への行政サービスが必要なくなればお考えのように臼杵市の負担は減ると思います。

      しかし、自立して生活できる間は住み慣れた場所から離れたくないと考える方は多くいらっしゃると思います。強制的に移住させることはできませんから、結局インフラの維持管理や移動手段の確保などの行政サービスの必要性は残ります。

      ご指摘のとおり公共交通を充実させるとなれば「よほどの仕組み」が必要です。自助・共助と公助のバランスがとれた仕組みとなるようオープンな議論の中、衆知を集める必要があります。

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    2. 「必要」と「できる」は別問題です。今より財源が少なくなれば,地域のインフラ老朽化しようとも,対応できなくなることは急速に増えていきます。

      これは問題を解決するに必要となる手法にたいし,とれる手法が少なくなっていくからであり,どうしようもないことです。

      だからこそ,そうなる前に,今,選択と集中をして,あえて周辺部への投資を抑制し,自らの意思で,中心部に移り住んでもらう,そういう誘導政策が必要なのではないかと考える次第です。
      →便利な場所で過ごしたいという方向に意思を誘導して引っ越してもらうだけなので住民全員の合意までは必要とされません。「選択と集中」という政策判断は,予算案提出権を持つ市長の専権に属することであり,住民全員の合意は要しません。限られた財源,資源の中で,最大多数の幸福を実現するため,市長が決断し,議会はそれに賛成できるか否かの観点から判断すべきです。

      仮に現在のまま「衆知」を結集して,需用者が動けるだけの体力がある間に議論だけして,結局何もできなかった場合,自助がほぼ難しく,コスト負担能力もない需用者が広い土地に点在するという状況が生じかねません。

      使用可能な財源がほぼないために公助が難しく,共助も自助も見込めない中,需用者が点在する状況で一番困るのは,当の需用者ではないかと考えます。

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    3. 政策の方向性としては正しいと思います。

      ただ「周辺部への投資を抑制し」とおっしゃっていますが、数戸しかない集落についてどういう投資を抑制せよと言われるのでしょうか?

      現実に生活している人がいらっしゃいます。最低限の生活のためのインフラを用意するのは自治体の責務と思います。

      その上で「便利な場所で過ごしたいという方向に意思を誘導する」という政策を行うことは可能でしょうが、財源が必要となります。

      政策の視点が「国策レベル」となっている感じがします。

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  6. もちろん生活道路が崩れたりしたらやり直す必要はあります。現実に人が住んでいらっしゃるのですから、そのあたりの費用投入は避けられない。
    それは最低限継続していく必要があります。

    しかし、コミュニティバスをやるにしても何をするにしても、どのような費用負担方法を取るにしても、それら新規事業は持続可能性が見込める人口密集地で集中して行い、中心部の魅力を引き上げること(相対的魅力度に変化が生じます。)、第二に一定の地域にお住まいの運転免許証返納者等交通買い物弱者を優先的にかつ安価に中心部の公営住宅や民間アパート等に入居できるよう手配整備すること、第三に、一定の過疎地域のお住まいの方々に現状を認識してもらい、臼杵市の置かれた状況を正しく理解してもらえる場を設けること。

    こういったことが必要ではないかと思います。

    臼杵市の手持ちの資産でで足りなければ家賃補助をして民間アパート等を活用すればいいのではないでしょうか。。使える空き家があれば市が借り上げてそれを貸与すればいいと考えます。

    そうすれば市の負担は差額だけで済みます。

    それでも足りない分をどうにかすればいいのではないでしょうか。

    どのみち何をするにしても財源は必要になります。将来の経費を少なくするような投資が必要ではないかと考えます。


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    1. 最低限の生活インフラを維持する必要があるという考えは同じですね。今回の、どこに住んでいても利用可能な公共交通を確保しようとすることも、最低限の生活インフラの確保という観点からです。

      タクシーしかなく、病院の往復に5000円かかることが受忍されるべきことなのか。何らかの公助の手を差し伸べるべきなのかという議論です。

      私は、後者であると思っています。そしてそのサービスレベルその方策ははいかにあるべきかを衆知を集めて考える必要があるとの主張です。

      縁辺部にお住まいの方が中心部に移り住みやすいように安価な住宅を用意する施策については一考に値すると思いますが、具体的な地域や世帯が想定されて始めて行うべき議論と思います。

      安価な住まいを用意すれば移住が進むとは思えません。様々な悩みに対応して始めて実現できることと思います。

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    2. 現在、臼杵市では地域コミュニティー作りや、健康寿命を延ばす取り組み等が行われていますね。ふぐバスが便利に利用出来たらコミュニティーセンターに通うのに助かります。
      自宅で生活出来ている高齢者は月一回診察を受けお薬をもらいます。
      そういった方々の利便性を計るのには病院でアンケートを取れば効率の良い乗り合いタクシーの運営方法が計画できると思います。
      先日、ふぐバス体験しましたが、地域の方々の利用が少ない午後の便は、
      早春賦の館等観光施設の近くも通りますから、少し停留所を増やす事で色々な可能性が生まれます。
      あと、地域の方々に情報告知は、市報だけでなく、是非、回覧版でもお願いします。

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  7. 将来的には色々な事を考えて良いと思いますが、なんだかコミュニティーバスよりもお金がかかりそうなアイデアに思えます。

    良く考えて下さい!
    中心部に住んでいても車のない人はコミュニティーバスは必要です。

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  8. 「引っ越して もらうだけ」? 簡単に言うな!だ゜ 震災でも何でも 住み慣れた生まれ育った場所を捨てる人間の気持ちがわかるか 心身共のストレスを年老いた者に平気でさせようとする おまえは何様のつもりか 早く死ね と言うようなものだ。それを言うのなら 「在」に住む人間にどう暮らして行きたいか聞いてみろ 

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    1. 人口密度と小売店や病院数は相関があるようです。民間サービスを維持するためにも、人口集積政策は悪くないと思いますよ。

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    2. 人口密度が高い所に小売店や病院が増えるのは当たり前です。考えなければいけないのは、今と近い将来の事ではありませんか、今不自由さを感じている人は沢山いらっしゃると思います。現に、中心部に暮らす知人も通院には苦労している様子です。

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    3.  引っ越すかどうかは最終的には個々の人々の判断に,完全に委ねられることになります。
       生まれ育った場所で天寿を全うしたいというのなら,それはそれで尊重されるべきです。
       個々の人々には幸福追求権がありますから,それは最大限尊重されるべきです。
       ただそのことと,財源に限りがあるということは別です。
       そのあたり,行政の役割を明確に区切る必要があります。
       正直なところ,中心部ですら,住民の利便性を確保しうる公共交通機関を整備しうるか疑問符がつきかねないのに,周辺部でも一様にというのは,どう考えても持続性があるように思えません。
       合併特例が打ち切られ,臼杵の財源状態はどうなっているのでしょうか。
       国からの交付税交付金も税収不足で,確実視できず,臨時財政特例債を発行して資金調達するような有様なのに,どこでもここでもというような政策はできないはずです。
       それに,今の高齢化問題を考えると,財源問題は,遠い将来の話ではなく,「今そこにある危機」です。
      (だからこそ,自助と共助,とりわけ共助の強調があるのだと考えますが。ですが地域社会の壊滅的な状況をみると共助も楽観視できない状況にあります。)
       将来的なインフラ維持費,人口集積による経済効果もろもろを考えたコンパクトシティ構想は,唯一ではないにしても,検討に値する政策じゃないかと思います。

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    4.  私自身,周辺部に住んでいますが,祖母の通院通いその他諸々の運転手役をしております。
       はっきりいうと,周辺部で一人暮らしをされている方で,移動手段がない,話し相手もいないという高齢の方を考えると,背筋が凍る思いがします。
       かつて存在したコミュニティというものは,今後存続が難しくなります。
       それこそ,一日中一人で過ごし,何かあっても,一人で対処しなければならない高齢の方々というのが増加するのは目に見えています。
       もちろん,財政の問題から,個々人がそれぞれの場所にいる状態でケアにあたるというのは,限界があります。

       そんな状況下であるシーンを考えてください。

       ある日,電気のついたこたつの中で,何かの拍子にもろくなってしまった足の骨を折ってしまったおばあさまがいたとします。痛くて痛くて動けません。

       首には役所からもらった防犯ブザーがぶら下がっています。電話は,手元にありません。
       そうなってしまったおばあさまの状況には,二つのパターンがあります。

       一つはお隣さんがいるパターン。中心部のアパートで,一日数回は,アパートの部屋の前を誰かが通り得るパターンです。

       二つ目は,お隣さんがいないパターン。いたとしても数百メートル,へたすると数キロほど離れている場合です。

       想像してください。

       必死の叫びが誰かに届く可能性がある場所を提供できるのと,そのままで放置するのと。

       コンパクトシティは,単なる移動手段の確保だけの問題でなく,生活における安全を確保するための方法でもあるのです。

       みんなで過ごしてこそ,みんなで互いを見守り合うという体勢がなしえるのではないかと考えます。

       もう移動手段の確保の問題からかなりそれてしまいましたが。

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