活動を通じて、思うことや考えることなど
ワクチン接種で1件でも有害事象がでたらやめるべきとの発言は政治家として如何なものかと思います。例えば一人を助けるために十人殺すのが政治でしょうか?感染が拡大すると被害者は増加します。例え重症化しにくい子供でも基礎疾患を抱えた子供などは、重症化することでしょう。また自宅にお年寄りのなど抱えた家では、亡くなるお年寄りもでてくることでしょう。そこには目を瞑るんでしょうか?もしくは、別の板でも掲載されていたよう日本は既に集団免疫を獲得しているから感染は拡大しないという考えを未だにお持ちなんでしょうか?
もうちょっと論点の明確化、一般化をお願いします。
>ワクチン接種で1件でも有害事象がでたらやめるべきとの発言は政治家として如何なものかと思います。この点について: 同意しますね。
>例えば一人を助けるために十人殺すのが政治でしょうか?この点について:これはあくまで10(人と言わず)万人助けるためにたまたま誰か一人に不幸にして致死的結果が出てしまうことを恐れてはならない,これが想定される場合であってもこの選択肢を排除すべきではないという趣旨であれば限定的同意しますね。政治的権力・影響力行使の結果として,例えば10人助けるために一人に致死的結果が生じうることが容認されるかどうかは,その一人にとっても,その致死的結果をもたらす何かしらの手段をとることが,ともに助かるチャンスがあるかどうか,その手段が,たまたま致死的結果を生じてしまったその一人にとっても潜在的に有益であったか,その一人の承諾が推定的であっても取り得る客観的状況にあるか,たまたま生じる致死的結果と相対としての利益との釣り合いがとれるかどうか等によります。一人を犠牲にすることで,たとえ1億人の生存を保持出来る場合であっても,その一人にとって,潜在的にも有益であったとすらできないならば,他から強要されることを是認するその判断は,認容出来ません。この場合にはその一人を犠牲にしない解決策を模索するべきです。どのような場合に,一人に致死的結果をもたらしうる手段が是認されるか,我がこととしての慎重な国民的議論が必要です。
>感染が拡大すると被害者は増加します。例え重症化しにくい子供でも基礎疾患を抱えた子供などは、重症化することでしょう。また自宅にお年寄りのなど抱えた家では、亡くなるお年寄りもでてくることでしょう。そこには目を瞑るんでしょうか?もしくは、別の板でも掲載されていたよう日本は既に集団免疫を獲得しているから感染は拡大しないという考えを未だにお持ちなんでしょうか?問題点それ自体及び相互関係の明確化をお願いします: 本件ではワクチンと感染拡大,そして亡くなる方等被害者を関連付け,「目を瞑るのか」と主張されていますが,それらの関連がどの点において,どのように繋がるのかということにおいてあまり明確ではありません。そもそも感染が拡大したときの感染者・発症者・重症者を“被害者”と言いうるかどうかは微妙なところです。“被害”というからには,一般的にはその対として“加害”が存在することになります。誰が“加害”するというのでしょう?本問いにおける“被害”という言葉の定義,その意味するところの説明をお願いします。また“被害”という語が,一般的に意味されるところにおけるそれと同様,“加害”と対になる場合,“加害”とはどのような様相を示すのかについてもご教示ください。人間は病気にかかります。これは自然の摂理です。その自然の暴力に対しあらがおうとして知恵を巡らせてきましたが,大前提として,人間は死にます。病気にもかかります。目を瞑るもなにも,お年寄りはいいときに天に召されるのは自然なことです。全ては“神”または“大いなる意思”の思し召しです。これはお年寄り以外の者についても当てはまります。エイズウイルスのような場合ならいざ知らず,新型コロナウイルス感染症のような病態の病気において,その感染をし,不幸にして発症・重症化してしまった者の“被害者”性をご説明ください。(本音: もういいじゃん。そこまでグチグチ言わなくても。もうコロナは終わろうとしているし,なんだかんだ言いつつ高齢者等はワクチンを打つだろうからこのままもう終わらせようよ。打たなかった人が重症化等してもここまで情報公開している以上,もう自己責任だよ。マスク完全解除までまだまだ道のりは険しいけれど,少しずつ現状を認識してゆけば良い。)
すみません、仰っている意味が、全く理解出来ません。1人死んだら、もう駄目でしょ!だって、危険だって事だもの。なんで風邪ごときで、死ぬかもしれない謎の注射を打つ必要が有る?
1人死んだら、1人に副反応が出たら全部だめってあなた頭おかしいんじゃないの?そういうことになるのであれば、食べ物もアレルギーが出るから加工食品は禁止、服も化学繊維は皮膚に影響がでるから禁止・・・で原始人の生活でもされたらいかがですか?
集団内で免疫を持つ個体数を一定数確保すれば爆発的感染は予防できるという、集団免疫の獲得ですね、その公共性を個人の自由意志より優先させるか否かという政治的選択が妥当かどうか、という事なんだろうけど、トロッコ問題ってのがあるじゃない、一人を犠牲にして10人助けるのか、一人を助けるために10人が死ぬのか、みたいな。一般的な個人や社会的な価値判断としては、もちろんそれは選択不可能な事柄ですよ。しかし、社会として何らかの選択を迫られる状況というのはありえますよね、例えば疫病が流行したとかいう場合など。どっち選ぶかは別にして、そこで政治の役割が発揮される。政治というのは、個人や集団の間の利害を調整して何らかの選択をする場ですよね。重要なのは、個人は社会とは別で、政治は社会の一側面にすぎないと言うこと。そして、その隙間を埋めるために、政治の場ではお互いに議論を尽くし、相互了解の上で政治的判断がされなくてはいけませんよ…というのが原則だと思うんですよ。集団免疫がどうのこうのとかマスクが効く効かないみたいな、誰にをも了解され得ないような「科学的正しさ」についての議論なんてあんまり重要な問題ではないですよ。だって科学ってのは事実の解釈のありかたであって、いってみれば任意の世界だもん。新聞記事の孫引きで、外国語で書かれた論文なんか眺めてみてどのぐらいの人がその正確な価値を判断できるのか。そうじゃなくて、重要なのは我々が共有する日常感と地続きな、相互了解性、選択の妥当性なんだと思うわけ。ヤバいものはヤバいとかイヤなものはイヤとかいうのは誰にだって大事ですよ。ところが臼杵市議会と臼杵市について、また他の多くの地方自治体と国ですね、妥当な選択に至る前に、相互了解が拒否されている、閉ざされていると。そこがおそらく若林さんの問題意識の一つだと思うし、そこは共感するんですよ。活動が子供のワクチン接種に至り、若林さんは市民の日常感に潜む危機感を掘り起こそうとしてるよね、それも理解できる。だから、>ワクチン接種で1件でも有害事象がでたらやめるべきとの発言それは政治家の政治的発言としてアリだと私は思います。その先に議論がすすむなら。残念なのは、若林さんもその主張のために、相互了解性を捨てている、合意形成をあきらめているように見えるところ。そういう類いのメディアに自己主張を仮託しちゃってるように見えるわけよ。
nagi様の4/9 8:42の(本音)部分、同感です。また、いつも冷静に分析されてコメントされていて、弁護士か何か「沈着冷静」が仕事の一部のような職業のお方なのかなぁと拝読させていただいております。4/10 13:54の匿名様の御意見も大変参考になります。最後の「若林さんもその主張のために、相互了解性を捨てている、合意形成をあきらめているように見える」部分、確かにあると思います。議会が、若林議員の主張を聞いてくれると「合意形成」が出来るのかもって思っています。まぁ、条例で「マスクしない者(=議運で決めた内容の逸脱は)はダメ」って法制化してしまったので、よほど若林氏が「発言のためにはマスク着用やむなし(=これって強要に近いと思いますが)」ってならなければ、発言すらできずに時間が過ぎるのかも?あっ、当選してからの話ですがね。
谷本さんも天命党なんですか?それとも例のカルト集団の仲間ですか?谷本さんは、若林さんにとって、志を同じくした仲間という認識で良いのですか?
表題のお二人が参加している全国有志議員の会はコロナの茶番、ウソを暴くつくられたパンデミックであること、PCRもウソであること、マスクも恐怖をあおるためだと暴くこと世界はディープステート(DS、影の政府)に操られている(DSが)マスクを着けさせようと誘導しているなどと主張しています。
とまりさんの言うとおり一人でも被害者が出たらだめというのならそれは政治家で阪く活動家の仕事だと思う。そういうことになるのであれば、食べ物もアレルギーが出るから加工食品は禁止、服も化学繊維は皮膚に影響がでるから禁止・・・で原始人の生活になってしまいます。
4/9 12:13の匿名様研究が進んでいる分野と、研究途中の分野を同列に並べて、庶民に訴えることは、少年野球チームとプロ野球チームが対戦して、それに論評するようなものだと思います。
どんだけ例えが下手やねん。言いたいことがさっぱりわからん。
4/13 21:15の匿名様例えが下手くそでごめんなさいね。言いたかったことは、食物アレルギーの分野は相当研究が進んでいる、野球選手で言えばプロ野球なみの分析ができると思います。片や、今回の新型コロナウイするに対するワクチンの研究は、まだまだ進んでいません。進んでいないのに、「安全です」っていうのは、そう言うしかないからです。で、研究発展途上は野球選手で言えばまだ野球を始めたばかりの少年野球チームのメンバーかと。その二つを同列に並べて、どうなるのでしょうか?正しい結果が導き出されるとお思いですか?私は、正しい結果は導けないと思うので、新型コロナウイルス副反応とアレルギー反応を比べること自体ナンセンスだと思います。
たかが似非カルトの二匹に何ができる?
ワクチン接種で1件でも有害事象がでたらやめるべきとの発言は政治家として如何なものかと思います。例えば一人を助けるために十人殺すのが政治でしょうか?
返信削除感染が拡大すると被害者は増加します。
例え重症化しにくい子供でも基礎疾患を抱えた子供などは、重症化することでしょう。
また自宅にお年寄りのなど抱えた家では、亡くなるお年寄りもでてくることでしょう。
そこには目を瞑るんでしょうか?
もしくは、別の板でも掲載されていたよう日本は既に集団免疫を獲得しているから感染は拡大しないという考えを未だにお持ちなんでしょうか?
もうちょっと論点の明確化、一般化をお願いします。
削除>ワクチン接種で1件でも有害事象がでたらやめるべきとの発言は政治家として如何なものかと思います。
削除この点について: 同意しますね。
>例えば一人を助けるために十人殺すのが政治でしょうか?
削除この点について:これはあくまで10(人と言わず)万人助けるためにたまたま誰か一人に不幸にして致死的結果が出てしまうことを恐れてはならない,これが想定される場合であってもこの選択肢を排除すべきではないという趣旨であれば限定的同意しますね。
政治的権力・影響力行使の結果として,例えば10人助けるために一人に致死的結果が生じうることが容認されるかどうかは,その一人にとっても,その致死的結果をもたらす何かしらの手段をとることが,ともに助かるチャンスがあるかどうか,その手段が,たまたま致死的結果を生じてしまったその一人にとっても潜在的に有益であったか,その一人の承諾が推定的であっても取り得る客観的状況にあるか,たまたま生じる致死的結果と相対としての利益との釣り合いがとれるかどうか等によります。
一人を犠牲にすることで,たとえ1億人の生存を保持出来る場合であっても,その一人にとって,潜在的にも有益であったとすらできないならば,他から強要されることを是認するその判断は,認容出来ません。
この場合にはその一人を犠牲にしない解決策を模索するべきです。
どのような場合に,一人に致死的結果をもたらしうる手段が是認されるか,我がこととしての慎重な国民的議論が必要です。
>感染が拡大すると被害者は増加します。例え重症化しにくい子供でも基礎疾患を抱えた子供などは、重症化することでしょう。また自宅にお年寄りのなど抱えた家では、亡くなるお年寄りもでてくることでしょう。
削除そこには目を瞑るんでしょうか?
もしくは、別の板でも掲載されていたよう日本は既に集団免疫を獲得しているから感染は拡大しないという考えを未だにお持ちなんでしょうか?
問題点それ自体及び相互関係の明確化をお願いします: 本件ではワクチンと感染拡大,そして亡くなる方等被害者を関連付け,「目を瞑るのか」と主張されていますが,それらの関連がどの点において,どのように繋がるのかということにおいてあまり明確ではありません。
そもそも感染が拡大したときの感染者・発症者・重症者を“被害者”と言いうるかどうかは微妙なところです。
“被害”というからには,一般的にはその対として“加害”が存在することになります。
誰が“加害”するというのでしょう?
本問いにおける“被害”という言葉の定義,その意味するところの説明をお願いします。
また“被害”という語が,一般的に意味されるところにおけるそれと同様,“加害”と対になる場合,“加害”とはどのような様相を示すのかについてもご教示ください。
人間は病気にかかります。これは自然の摂理です。
その自然の暴力に対しあらがおうとして知恵を巡らせてきましたが,大前提として,人間は死にます。病気にもかかります。
目を瞑るもなにも,お年寄りはいいときに天に召されるのは自然なことです。全ては“神”または“大いなる意思”の思し召しです。これはお年寄り以外の者についても当てはまります。
エイズウイルスのような場合ならいざ知らず,新型コロナウイルス感染症のような病態の病気において,その感染をし,不幸にして発症・重症化してしまった者の“被害者”性をご説明ください。
(本音: もういいじゃん。そこまでグチグチ言わなくても。もうコロナは終わろうとしているし,なんだかんだ言いつつ高齢者等はワクチンを打つだろうからこのままもう終わらせようよ。打たなかった人が重症化等してもここまで情報公開している以上,もう自己責任だよ。マスク完全解除までまだまだ道のりは険しいけれど,少しずつ現状を認識してゆけば良い。)
すみません、仰っている意味が、全く理解出来ません。
削除1人死んだら、もう駄目でしょ!だって、危険だって事だもの。
なんで風邪ごときで、死ぬかもしれない謎の注射を打つ必要が有る?
1人死んだら、1人に副反応が出たら全部だめってあなた頭おかしいんじゃないの?
削除そういうことになるのであれば、食べ物もアレルギーが出るから加工食品は禁止、服も化学繊維は皮膚に影響がでるから禁止・・・で原始人の生活でもされたらいかがですか?
集団内で免疫を持つ個体数を一定数確保すれば爆発的感染は予防できるという、集団免疫の獲得ですね、その公共性を個人の自由意志より優先させるか否かという政治的選択が妥当かどうか、という事なんだろうけど、
削除トロッコ問題ってのがあるじゃない、一人を犠牲にして10人助けるのか、一人を助けるために10人が死ぬのか、みたいな。
一般的な個人や社会的な価値判断としては、もちろんそれは選択不可能な事柄ですよ。しかし、社会として何らかの選択を迫られる状況というのはありえますよね、例えば疫病が流行したとかいう場合など。
どっち選ぶかは別にして、そこで政治の役割が発揮される。政治というのは、個人や集団の間の利害を調整して何らかの選択をする場ですよね。
重要なのは、個人は社会とは別で、政治は社会の一側面にすぎないと言うこと。そして、その隙間を埋めるために、政治の場ではお互いに議論を尽くし、相互了解の上で政治的判断がされなくてはいけませんよ…というのが原則だと思うんですよ。
集団免疫がどうのこうのとかマスクが効く効かないみたいな、誰にをも了解され得ないような「科学的正しさ」についての議論なんてあんまり重要な問題ではないですよ。だって科学ってのは事実の解釈のありかたであって、いってみれば任意の世界だもん。新聞記事の孫引きで、外国語で書かれた論文なんか眺めてみてどのぐらいの人がその正確な価値を判断できるのか。
そうじゃなくて、重要なのは我々が共有する日常感と地続きな、相互了解性、選択の妥当性なんだと思うわけ。ヤバいものはヤバいとかイヤなものはイヤとかいうのは誰にだって大事ですよ。
ところが臼杵市議会と臼杵市について、また他の多くの地方自治体と国ですね、妥当な選択に至る前に、相互了解が拒否されている、閉ざされていると。
そこがおそらく若林さんの問題意識の一つだと思うし、そこは共感するんですよ。
活動が子供のワクチン接種に至り、若林さんは市民の日常感に潜む危機感を掘り起こそうとしてるよね、それも理解できる。だから、
>ワクチン接種で1件でも有害事象がでたらやめるべきとの発言
それは政治家の政治的発言としてアリだと私は思います。その先に議論がすすむなら。
残念なのは、若林さんもその主張のために、相互了解性を捨てている、合意形成をあきらめているように見えるところ。そういう類いのメディアに自己主張を仮託しちゃってるように見えるわけよ。
nagi様の4/9 8:42の(本音)部分、同感です。
削除また、いつも冷静に分析されてコメントされていて、弁護士か何か「沈着冷静」が仕事の一部のような職業のお方なのかなぁと拝読させていただいております。
4/10 13:54の匿名様の御意見も大変参考になります。
最後の「若林さんもその主張のために、相互了解性を捨てている、合意形成をあきらめているように見える」部分、確かにあると思います。
議会が、若林議員の主張を聞いてくれると「合意形成」が出来るのかもって思っています。
まぁ、条例で「マスクしない者(=議運で決めた内容の逸脱は)はダメ」って法制化してしまったので、よほど若林氏が「発言のためにはマスク着用やむなし(=これって強要に近いと思いますが)」ってならなければ、発言すらできずに時間が過ぎるのかも?
あっ、当選してからの話ですがね。
谷本さんも天命党なんですか?
返信削除それとも例のカルト集団の仲間ですか?
谷本さんは、若林さんにとって、志を同じくした仲間という認識で良いのですか?
表題のお二人が参加している全国有志議員の会は
削除コロナの茶番、ウソを暴く
つくられたパンデミックであること、PCRもウソであること、マスクも恐怖をあおるためだと暴くこと
世界はディープステート(DS、影の政府)に操られている
(DSが)マスクを着けさせようと誘導している
などと主張しています。
とまりさんの言うとおり
返信削除一人でも被害者が出たらだめというのならそれは政治家で阪く活動家の仕事だと思う。
そういうことになるのであれば、食べ物もアレルギーが出るから加工食品は禁止、服も化学繊維は皮膚に影響がでるから禁止・・・で原始人の生活になってしまいます。
4/9 12:13の匿名様
削除研究が進んでいる分野と、研究途中の分野を同列に並べて、庶民に訴えることは、少年野球チームとプロ野球チームが対戦して、それに論評するようなものだと思います。
どんだけ例えが下手やねん。
削除言いたいことがさっぱりわからん。
4/13 21:15の匿名様
削除例えが下手くそでごめんなさいね。
言いたかったことは、
食物アレルギーの分野は相当研究が進んでいる、野球選手で言えばプロ野球なみの分析ができると思います。
片や、今回の新型コロナウイするに対するワクチンの研究は、まだまだ進んでいません。進んでいないのに、「安全です」っていうのは、そう言うしかないからです。で、研究発展途上は野球選手で言えばまだ野球を始めたばかりの少年野球チームのメンバーかと。
その二つを同列に並べて、どうなるのでしょうか?
正しい結果が導き出されるとお思いですか?
私は、正しい結果は導けないと思うので、新型コロナウイルス副反応とアレルギー反応を比べること自体ナンセンスだと思います。
たかが似非カルトの二匹に何ができる?
返信削除