〈3〉高校生、映画化の動き
2011年10月12日
「二孝女物語」の映画化を企画している県立臼杵商業高校の生徒会役員=大分県臼杵市の同校 |
二孝女研究会の手になる史料集「豊後国の二孝女」(06年3月刊)を契機に注目が集まった物語。常陸太田市出身で現代語訳を任された著述業、橋本留美さん(41)には、不安とは裏腹に「この仕事は私に」という気持ちがあった。
史料集が発行される前から物語を知っていた。「すごい物語があってね。いま研究しているんだ」。研究会のメンバーで、常陸大宮市歴史民俗資料館の調査研究員、野上平さん(74)から聞いていた。橋本さんの父だ。
以来、物語に関心をもっていた。ただそれだけで読み解けるほど、古文はたやすくなかったが、その度に野上さんが救ってくれた。時代考証も引き受けてくれた。父娘の二人三脚だった。
シンガポールで過ごした20代後半の数年間の思い出も役立った。
海外で英語を生かした仕事に就きたいという一心で渡航。多くの人に助けられた自分が、豊後(大分)から遠路はるばる常陸(茨城)を訪れたツユとトキに重なった。
現代語訳のほかに英文の要約も頼まれていた。欧米の日本研究家も二孝女に着目し始めたからだ。この点ではシンガポール時代に身につけた語学力がいきた。
昨年9月末、「実話 病父を尋ねて三百里」(新日本文芸協会)を出版した。足かけ4年。依頼を受けた07年の1月に出産した女児を育てながらの作業。親の立場からも物語に寄り添えた。
二孝女の物語には、一般の読者だけでなく、全国の教育委員会などからも問い合わせが続いている。
大分県臼杵市にある県立臼杵商業高校。今年4月に着任した木戸孝明校長(51)は、前任校の同僚たちから餞別(せん・べつ)に1冊の本をもらった。橋本さんの本だった。斜め読みにとどめたせいか、臼杵の話であることも頭に残らなかった。
入学式、物語の伝承に励む「きっちょむ史談会」事務局長で市教育委員の荘田啓介さん(64)が来校。同校の同窓生でもある荘田さんの話を聞いて、本と二孝女の物語がすぐにつながった。その日に講演会を5月末に開くことを決めた。
臼杵商は3年後に閉校になる。大型連休後の生徒会室――。
「ラスト3年、何かビッグなことがやりたいね」
「二孝女で映画をつくっちゃおうか」
「地域の人もエキストラとして出てもらってね」
3年生がシナリオをつくり、2年生に引き継ぐ。そして今の1年生の卒業式後にある閉校式での上映を目指す。きっちょむ史談会も全面的に支援する構えだ。
実は200年前にも、二孝女のような孝行話を活用しようという動きがあった。
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