2010年12月22日水曜日

二孝女の物語

大分合同新聞より転載
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茨城に「二孝女」の記念碑 200年の節目


青蓮寺境内に完成した二孝女の記念碑
江戸時代、病床に伏した父を訪ねて臼杵市野津町川登地区から常陸国(現茨城県)まで、命懸けの約2カ月間の旅をした「豊後国の二孝女」をたたえる記念碑が、茨城県常陸太田市の青蓮寺に完成した。ことしは二孝女の常陸訪問から200年の節目。両市は今後、美談を橋渡しとした相互交流を積極的に進めていく。臼杵市では3日、二孝女ゆかりの地の見学会を開く。

「二孝女」は実在の人物で、川野初衛門の娘ツユ、トキの姉妹。初衛門は1804年、親鸞ゆかりの地を訪ねる巡礼に出発したが、途中で足を痛め、青蓮寺に着いたところで歩けなくなってしまった。1811年、姉妹は川登を出発。苦労の末に父との再会を果たした。姉妹に感動した常陸国の住民や臼杵藩の役人らによる手厚い支援を受け、翌年帰郷した。
青蓮寺のある常陸太田市は福島県との県境に位置し、人口は約5万6千人。二孝女の話は学校の教材にもなっている。青蓮寺で近年多くの史料が見つかったことから研究が進み「豊後国の二孝女」など本も多数出版されている。
記念碑の建立は青蓮寺の関係者や、郷土史研究グループの二孝女研究会(秋山高志代表・茨城県水戸市)などを中心とした顕彰事業の一環。秋山代表は「二孝女の話は海外の研究者からも注目を集めている。両市が真心、人情、愛の発信源になれば」と話している。
3日は臼杵市で「二孝女ゆかりの地を訪ねて」と題し、供養碑前での法要や川登小学校での顕彰行事、二孝女の菩提(ぼだい)寺・善正寺訪問などを計画している。
来年は二孝女の帰郷200年を記念し、常陸太田市への「お礼参り訪問」など多くの行事を予定。主催する野津町きっちょむ史談会の吉良卓美会長代行は「郷土の先人の偉業を一人でも多くの人に伝え、交流の機運をできるだけ盛り上げたい」と張り切っている。
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次は、毎日新聞より転載
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二孝女:広く伝えよう 野津町きっちょむ史談会、ゆかりの地訪ねるイベント


江戸時代の臼杵藩の親孝行な2姉妹の「二孝女(にこうじょ)伝」に光を当て、幅広く伝えていこうという動きが出ている。臼杵市の「野津町きっちょむ史談会」(後藤保一会長)は今月、市内に残る二孝女ゆかりの地を訪ねるイベントを初めて開き、会員ら約50人が参加した。

二孝女伝は、江戸時代後期の文化年間(1804~18年)の話。親鸞が布教活動した際の旧跡を訪ねた父が旅の途中に病に伏し、常陸の国(現茨城県)の寺にとどまった。姉妹は安否を気遣い、10年後に船と徒歩で父に会いに行き、病父をかごに乗せ、臼杵に戻ったという。

茨城県では、この物語を後世に伝えようと、県立高校の「道徳」の副読本に取り入れたり、10月には寺に記念碑を建てたりするなどの動きがある。

きっちょむ史談会は「二孝女の地元の方が顕彰の動きが遅い。広く知ってもらおう」とゆかりの地を訪ねるイベントを企画。今月、校歌に二孝女の歌詞がある川登小も訪ね、3年生以上の39人と姉妹の話をするなどして触れ合った。

姉妹が父と再会して200年となる来年10月、同史談会を中心に常陸国訪問団(約40人)を作り、お参りする予定だ。

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