2014年8月12日火曜日

議会側は執行部と相対できているか?

コメントいただきました。

-------以下引用

ところで話は完全に変わりますが,若林先生は別のページで,議員の政務調査費を(臼杵市でも)認めていただけたらという趣旨のコメントをされていますね。私は,議会活動が停滞している(と感じる)のは,単なる議員報酬や費用弁償の多寡,政務調査費に公金支出を認めるか否かを超えたところにあると考えています。

私が当該ページで指摘した,議員側にもマンパワーが無ければだめ,議会職員をプールし,市職員とは別の立場で独自に議員方のために使えばよい,趣旨のコメントをしましが・・・・・・。

今改めてお聞きしますが,活発な議会活動の推進を図るためにはどのような制度枠組みが必要だろうと思われますか。先生が仰るように,議会側が実質的に執行部と相対できていないとすれば,それは立憲主義の前提からすれば相当に重大な問題です。費用をかけてでも手直しする必要があると思います。議員方の個人的才覚に頼るのでは限界があるはずです。

-------引用ここまで

いまの仕組みで、個人的才覚或いは努力の範囲内で、報酬と政務活動費の現状下において、執行部と相対できていれば問題ありません。しかし現実としては、議会側は執行部と相対できていないと思います。

できている或いはできるとお思いでしょうか?NAGIさんはどのようにお考えですか?

5 件のコメント:

  1. 市民の本音やニーズを間近に聴くことができる、その点においては議員が執行部と相対できると思います。逆にそれ以外の例えば「プラザ」や「歴史資料館」の整備などはなかなか相対することは難しいと思います。

    市民の皆さまに市政の情報をお伝えし、意見や要望を聴くということは市議会議員にとって極めて重要な役割ということです。

    「議会だよりの発行」「議会のケーブルテレビ放映・インターネット配信」「議会報告会の開催」などにしっかりと取り組むことが必要です。

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    1. >市民の本音やニーズを間近に聴くことができる、その点においては議員が執行部と相対できると思います。

      >市民の皆さまに市政の情報をお伝えし、意見や要望を聴くということは市議会議員にとって極めて重要な役割ということです。

      >「議会だよりの発行」「議会のケーブルテレビ放映・インターネット配信」「議会報告会の開催」などにしっかりと取り組むことが必要です。



       市民の本音やニーズを間近に聴くことが出来ること,これは確実に市議会側に分があるでしょう。また市民各人に市政の情報を伝え,意見や要望を聴くことは,確かに議員諸氏にとって,極めて重要な役割であると言うほかありません。当然,説明責任を果たし,議会により関心を持ってもらうための仕組み作りの一環として議会便りの発行,議会議事のケーブルテレビ放映,ネット配信,議会報告会などに取り組むべきことは言うまでもないでしょう。

       しかし,仮に市民の本音やニーズに近かったとしても議会活動等を通じて具体的政策に落とし込みづらい構造的な問題が存在する場合には,そのように主張される事についてどれだけ意味があるのか疑問であると言わざるを得ません。

       そもそも,なぜ市民が政治に興味をなくしているのかという点について思いを巡らせる必要があると思います。おそらくですが,政治に期待をしてもなにも変わらない,このような幻滅感が政治に対する興味,ひいては市議会に対する興味を喪失させる一因になっているのではないでしょうか。とすると市議会の審議能力を向上させ,若林先生が仰った市議会の限界を打ち破ることは,同時に,市民の市議会に対する理解を取り戻すことにも繋がり得るはずです。

       必要なのは市民の市議会に対する理解の獲得,ではなく,若林先生が限界を指摘された市議会の審議能力の向上だと思います。私の理解としては,議会の活性化とは議会の審議能力の向上を意味するに他なりません。超人的能力を持つ救世主かのような議員の出現を待つのではなく,組織的に議員をサポートし,最低でも8割の力で70点(100点満点中)の審議が出来る体制作りが必要だと考えます(市民は,自らの利益を保全しようと考えるならば,そのための具体的な行動をとらなければなりません。議会の審議能力の低下を脇で眺めつつなお放置していたのであれば,執行部の無策(とも思えるような政策)の責任を受け止めなければなりません。自己責任であるとしか言いようがありません。)。

       議会議員は,議場や委員会の場で議論することが本業のはずです。市民からの意見聴取,説明の実施は確かに,議員の重要な仕事であることは確かですか,二次的,副次的要素に過ぎません。議員であることの核心は,やは議会での発言権,投票権にあると考えます(なお意見聴取,説明の履行を二次的ないし副次的要素としたのは,言い過ぎではないと考えます。我が国の民主主義は間接民主制を前提としており,市民が議員方に一定の権限を信託したという建前をとります。とすると市民と議員方とは信託の当事者関係にあるわけですから,当該信託の『付随的義務』として説明義務,並びにクライアントである市民の意見を聞く義務が認められるに過ぎないと考えます。この点は議会が実施する議会便りの配布,会議のネット配信等についても同様といえます。しかし議会での発言権,投票権を託す旨の事項は,議会が担当する権限を託す事項は,まさに信託の本質的部分に他なりません。念のため申し添えます。)。



      >>逆にそれ以外の例えば「プラザ」や「歴史資料館」の整備などはなかなか相対することは難しいと思います。



      むしろその方面にこそ,議員さん方に積極的な役割を求めたいと考えます。一般の市民は,市役所がやろうとする政策についてどうこう言うのには限界があります。議会という場があるにもかかわらず,その場において相対することが難しいとするのは,議会制度の自殺に近いことだと思います。

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    2. 圧倒的なマンパワーの差により「相対できない」と結論付けていながら「相対すべき」というのはなかなか難しいですね。

      わたしとしてはできるだけ相対できるよう努力しているつもりです。ただ一議員としての努力には限りがあります。

      現実の議会は議論する場となっていません。少なくとも私にはそう見えます。

      「議会制度の自殺」を避けるためにどうすればよいのか。一議員の努力ではいかんともしがたい課題と見えます。

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    3. >圧倒的なマンパワーの差により「相対できない」と結論付けていながら「相対すべき」というのはなかなか難しいですね。

      『現状のままでは』,『困難』としただけです。
      理想としては相対出来るべきだけれども実情は相対出来ていない構造的な理由がある(のだろう)。どうすべきか,と問うただけです(直前のコメントでも,「構造的問題がある場合には」としかしていません。)。
      またご承知とは思いますが,投入可能労働延べ時間数の比較にどれほど意味があるかは検討課題であるとの留保をつけております。なぜなら議会と執行部とではすることが違うからです。
      そもそも,初めにマンパワーには逆らいがたい趣旨の発言をされたのは若林先生ではなかったでしょうか(2014年8月11日17:19のコメント)。現職の議員先生がそこまで言うのであれば,マンパワーの差異には議会と執行部との相対度合いに関連があるのだろうと前提しました。だからこそ,私は,執行部と議会との間の客観的なマンパワーの差異が議会の審議能力に影響を与えうるかという点につきとりあえず今は不要証としたわけです。

      私の言ったことは仮定の上に仮定を並べたもの,たとえ仮定と明示していなくとも一般的な言い方しかしていない(はずである)からご理解いただけたものとしておりました。

      あくまでも一般論として,投入可能労働延べ時間数に大きな差があれば,まともな議論ができない可能性がありますよね,ということです。


      >わたしとしてはできるだけ相対できるよう努力しているつもりです。ただ一議員としての努力には限りがあります。
      >現実の議会は議論する場となっていません。少なくとも私にはそう見えます。
      >「議会制度の自殺」を避けるためにどうすればよいのか。一議員の努力ではいかんともしがたい課題と見えます。

      確かに,議会の活性化問題の根底に議会と執行部の政務能力差があるのだとすれば,一議員の努力だけで問題を解決することは困難であると思慮します。しかし,議会制度の改革は,議会にしかなしえないこともまた事実です。行政国家現象の進展は地方自治のレベルにおいても著しく,ますます立憲主義の観点から議会の審議能力の向上が望まれます。若林先生であれば,先鞭をつけることも出来ると信じております。

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  2. お答えします。
    現状のままでは,以下の理由から困難と考えております。

    平成25年4月1日時点での,臼杵市の一般行政職員数は243名です。
    ここで一人あたりの一日あたり労働時間を8時間(条例上は7時間45分)とし,一週間の勤務日数を5日とします。この二つの数を乗じると一人あたりの一週間あたり労働時間数を得ることが出来ます。
    これに4を乗じれば一人あたりの一ヶ月あたり労働時間数,さらに12を乗じれば一人あたりの一年あたり労働時間数を得ることができます。
    最後に,これに臼杵市が擁する行政職員数を乗じれば,臼杵市が一年間に使用可能となる労働資源であるところの延労働時間数を得ることが出来ます。
    実際には時間外労働もあるでしょうし,休日勤務もあるはず。祝日もあるでしょうし,休職中の方もいられます。有休を取る人もいるでしょう。
    よりやっかいなのは宿題として家に持ち帰り,引き続き執務している場合と実質異ならない人たちもいる可能性があるということです。


    (1年あたり延労働時間数)=8(時間/日/人)×5(日/週)4(週/月)12(月/年)243(人)
    =466,560(時間/年)
    (1年あたりの延労働日数)= 466,560(時間/年)/24(時間/日)
    =19,440(日/年)


    つまりは53年分です(それも能力の担保がされた,概ね40歳代の人たちを中心とする人たちの,です。)。
    執行部側からしたら議会対策は極めて重大な意味を持ちます。どの程度割り振られるでしょうか。

    対するに臼杵市議会側はどうでしょう。議員数をカットしたために現在議員数18名。
    昭和10年代生まれが3名 16.67パーセント
    昭和20年代生まれが9名 50.00パーセント
    昭和30年代生まれが5名 27.78パーセント
    昭和40年代生まれが1名 5.56パーセント
    個々の議員方は実質単独で行動しているに等しく,情報源も限られている。
    その上で,兼職の方もおられる。
    就寝時間(仮に6時間としましょう。)以外の全ての時間を純粋に政務活動のみに費やしたとしても,
    {24(時間/日/人)-6(時間/日/人)}×365.25(日/年)×18(人)=118,341(時間/年)
    延べ13.5年分。

    執行部側の延べ年数の5分の1程度です。

    実際には寝る時間以外の全ての時間を純粋に政務活動のみに費やすことは困難です。
    またそうされていないでしょうから,臼杵市議会が運用しうる労働力の延べ年数は恐ろしく小さくなるでしょう。もっとも,議会と施行部側のすることは違いますから,単純比較にどれほど意味があるのかは疑問です。しかし議会側がときとして予算案審議,条例案審議を通じて執行部側の政策に疑問を呈することが職務活動の一つとして行うことが予定されている以上,少なくとも執行部側が議会対策で投入すると思われる人的物的資源に対応出来る程度の政務能力が要求されると言うべきでしょう。
    しかし現状は,議員諸氏の活動は各人の個人的能力,努力の範囲に大きく依存していると言わざるを得ない状況にあります(若林先生も2014年8月9日 10:58のコメント及び2014年8月11日 17:19のコメントにおいて,「市長が提出した予算案件について、よほどの反対理由がない限りは「承認」となるのは自然な流れ」→「市役所がマンパワーと時間とお金をかけて計画した予算案を多数決で「否決」などということにはそうそうな」らないこと,「委員会では「市民のためになるかどうか」という点を概観し、賛否を決定しているのが現実」とされていますよね。)。このような状況で執行部側と適切な議論が出来るのか疑問です(若林先生も「市長以下市役所が時間と費用をマンパワーをかけ練り上げた計画について突然「経過報告」されても「議論」にはなりません」と仰っています。)。

    (プラザ問題に関しても,若林先生は,2014年8月5日 19:13のコメントにおいて,「計画の進め方に不安はありましたが、必要な施設と思いましたから「賛成」しました」と述べられています。時間が迫る中,臼杵市議会においては他にも審議すべき案件があった中での苦渋の選択であったとは思いますが・・・・・・。やはり現状では議会の討議能力に限界があるということでしょうか。)

    議会活動が停滞し,機能不全に陥ることが市民にとって極めて危険であることは歴史が証明しています。一方に権力が事実上集中する体制が造られてしまえば,権力機関に対するセーフティが無効化されかねません。双方が対等で相対出来ること,これが立憲主義の前提の一つであるはずです。

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